「洗浄=せんでき」という漢字の嘘マナーの正体【慣用読み】

はじめにの前に

「洗浄」は「せんじょう」ではなく「せんでき」と読むのが正しいという情報が出回っています。先に結論を書くとこれは間違いです。「洗滌」という古い表記での話を「洗浄」に誤って適用させたものです。歴史的に見ても「洗浄」を「せんでき」と読む用例がない(あっても十分に存在しない)ため「洗浄」は「せんじょう」のみが正解です。

これらを文化庁の見解などを基にファクトチェックをした記事ですので参考になりましたら幸いです。


はじめに

2023年、書道家YouTuberのショート動画が約500万再生され話題となりました。動画の中では「洗浄」を「せんじょう」という読みにバツをつけ「せんでき」を正解としています。

しかし辞書などを見てもわかる通り「浄」に「デキ」という音読みはありませんし違和感があります。

情報の発端を調べると2018年に作成された「ねとらぼ」の記事が見つかります。

「稟議=りんぎ」「洗浄=せんじょう」ではない? 現代人には分からない“漢字の本来の読み方”

ここで「洗浄 = せんでき」説が登場し、それ以降この主張がネット上で見られるるようになります。

なぜ「せんでき」と主張するのか?

「洗浄」はかつて「洗滌」と書かれていました。「洗滌」は本来「せんでき」と読むものの「せんじょう」という誤読が定着した経緯があります。

「滌」は洗う・すすぐといった意味の字です。「洗滌」は文字通り洗いすすぐことを意味した言葉です。この「滌」のつくりが「條」(「条」の旧字体)であるため「せんじょう」という誤読が広まりました。

本来間違いであっても多くの人が使えば受け入れられるものです。昭和10年発行の『辞苑』(広辞苑の前身)には「洗滌(せんじょう)」に「「せんでき」の訛」と説明されており定着しつつあることがうかがえます。

一方で古くから「洗い清める」という意味で「洗浄」という言葉が存在しました。「洗滌」と「洗浄」の言葉(あるいは「滌」と「浄」の字)の意味が近く、どちらも同じ読みになることから「洗滌」の代用として「洗浄」と書かれるようになりました。

「洗浄」という表記が主流になったのは戦後です。1946年に「当用漢字」という現在の常用漢字にあたる枠組みが誕生しました。

その際当用漢字にない漢字は避けるよう指示があったので代用表記の「洗浄」が広く使われるようになりました。1956年に文化庁が示した「同音の漢字による書きかえ」にも「洗滌」は「洗浄」とするのが妥当だと書かれています。

ちなみに「洗浄」という表記は戦前にも代用されていたので、この通達で初めて生まれたものという説明は間違いです。「洗浄」の表記が主流になったというべきでしょう。

実際「国立国会図書館デジタルコレクション」で1945年以前の書籍から全文検索すると「洗浄」は27314件、「洗滌」は119030件ヒットし両方存在したことがわかります。その「洗浄」の用例を見ると(洗い清めるの意味ではなく)「カバグラスの洗淨」など「洗滌」の代用として使われています。

一方で1956年以降の書物の全文検索をすると「洗滌」が103362件に対して「洗浄」が316817件になり比率が逆転しています。

「洗浄=せんでき」問題のまとめ

せん‐じょう〔‐ジヤウ|‐デウ〕【洗浄/洗×滌】 の解説
(中略)
[補説]「洗滌」は正しくは「せんでき」で、「せんじょう」は慣用読み。「洗浄」はその書き換え字で、本来は別語。

デジタル大辞泉「洗浄/洗滌」より引用

国語辞典には「洗浄/洗滌」の欄に「洗滌」の本来の読みについて書かれています。確かに「洗滌」に関しては「せんでき」が本来の読み方と言えるでしょう。実際、2018年以前昔の日本語マナー系の書籍やサイトの中には「洗滌」の本来の読みについて書いているものも存在します。

しかし、この内容が「洗浄」にも当てはまると解釈してしまうと「洗浄=せんでき」という誤った言説が生まれてしまいます。「洗浄」と書いて「せんでき」と読むという用例は調べても過去に見られず、存在しても十分にないでしょう。そのため本来の読み方と主張するには無理があります。

つまり、「洗浄=せんでき」とあたかも一般知識のように語るのは誤りです。ただし「洗滌」という言葉がある以上、話し言葉で「せんでき」を用いることは伝達性を度外視すれば問題ありません。

「滌」を「浄」に書き換えることについては、本来の音「てき」と読まれている場合にまで類推適用するべきではないのである。例えば法令用語に「消滅させる」意味で「滌除」という語があり、「抵当権を滌除する」などと用いられている。しかし、この方は「てきじょ」と読まれ、「じょうじょ」と読む慣用がないのである。

文化庁「ことば」シリーズ5『言葉に関する問答集2』より引用

ちなみに本記事で参考にした文化庁の本には「「洗浄」か「洗滌」か。」という見出しでこれらの経緯と考察が書かれています。引用の通り「滌」→「浄」の書き換えは「洗滌」にしかない現象のため、他の「滌」を含む言葉を「ジョウ」と読んだり「浄」に改めたりすることは慣例的にできません。

そもそも慣用読みって悪なの?

話はそれますが、冒頭のショート動画では以下も紹介されています。

  • 茶道(○ちゃどう ×さどう)

  • 甘味処(○あまみどころ ×かんみどころ)

  • 他人事(○ひとごと ×たにんごと)

確かに○の方がいずれも本来の読み方です。しかし本来の読みではなくとも今日で使われている以上完全に×ではないでしょう。(茶道に関しては今日では流派によって読み方が異なるから×でないという意見もあります。それも正しいですが、江戸時代に「ちゃどう」から「さどう」に変化したものなので他と同様に慣用読みにも関連する話です。)

このように日本語のマナーを謳ったサイト・本では慣用読みを不正解と白黒つけることが多いです。「慣用読みをするやつは教養がない」と声をあららげる人もいます。

しかし、慣用読みは常に悪者なのでしょうか?

私は相手のことを考えて正しく伝えることの方が大切だと思います。確かに正しく伝える言葉選びの基準に本来の読み方かどうかが絡みます。本来の読み方の方がフォーマルになりやすいのでそれを押さえておくことは大切です。

しかし、本来の読み方が正しい、古い語彙が適切とも必ずしも言えません。昔の表現に拘泥して伝わらなければ本末転倒です。本来の読み方をしたら逆に読み間違いだと誤って指摘されることもあります。(これは指摘する人の態度・内容の両方に問題がありますが)

そのため「本来の読み方=正しい日本語」など短絡的に決めつけられるものではありません。

実際、本来の読み方が正しいと語っている日本語マナーのサイトであってもよく見ると、ある言葉では妙に本来の読み方を重んじ、別の言葉では本来の読み方を不正解とするなど正解の基準がバラバラであることが窺えます。

そのため「正しい日本語」というものは古さなど一要素だけで考えるのは難しいでしょう。これらの指摘に関しては下記記事に詳しく書いています。

話は変わりますが、このような質の悪いマナーはコピペ記事・動画として嘘が混ざったまま容易に広まっています

実際にこの「洗浄」の件も

  • 2018年 ねとらぼが慣用読みに関する記事を公開

  • 2023年7月 書道家YouTuberが上記事を参考にしたであろう動画を公開

  • 2024年3月 上の人が同じ内容の動画を公開

  • 同月以降 Xにて動画無断転載系アカウントが複数回拡散

というコピペの連鎖をしています。

最初に挙げたYouTubeの動画やねとらぼの記事だけが悪いのではなく、既存の情報をコピペして発信し続ける悪風自体も問題でしょう。

ネットの漢字マナーは鵜呑みにせず辞書などを引いて確かめることをオススメいたします。(もちろんこの記事も例外ではありませんが、それにかこつけてなおざりにならないよう、一次ソースや客観的根拠を挙げることを心掛けました。)

余談

もしかしたら慣用的な読み方は絶対避けるべきだから、話し言葉でも「せんじょう」を封印するべきだと考える方もいらっしゃるかもしれません。

「言葉は変化する」と言いますが日本語警察ですら指摘しないような変化もあるため、慣用的な読み方を完全に避けることはほぼ不可能です。

というのも「洗滌」をどちらで読もうが、「洗」を「せん」と読むのがおかしいからです。

古い中国語の漢字音と日本語の音読みには一定の対応関係があり、(「洗う」の意味で使われている場合)「洗」は「さい」「せい」という音読み(呉音/漢音)と対応します。そのため、漢字音を遵守して読むのなら「洗滌」は「さいでき」「せいてき」が正しいことになります。

しかし、そのような読みを載せている辞書はないはずですし、用例もないかほぼ見つからないはずです。

このように本来の読み方を重んじる姿勢も大切ですが、伝達性からある程度慣用的な読み方を妥協せざるを得ません。日本語の乱れから逃れられたと思っていても皆多かれ少なかれ影響を受け、それを無意識に受け入れています。(私もこの記事を公開して半年後にこの話を知ったぐらいです)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?