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"結局"一番長い漢字の読みって何!?この問題が錯綜する理由



はじめに

Q.一番長い読みの漢字は何?

昔からずっとネットで挙がっている質問です。

「閄(ものかげからきゅうにとびだしてひとをおどろかせるときにはっするこえ)」「砉(ほねとかわとがはなれるおと)」など文章のような訓読みがしばしば挙げられます。

これに対して「訓読みではなく意味だ」といった漢字雑学とツッコミのやりとりはネット上で定期的に耳にし、結論付けるのは難しそうです。

議論が平行線を辿る一因はどこまでを訓読みと認めるかのボーダーラインが人によって異なるからです。異なる観点での情報がネットで錯綜しているために、一貫性のない情報もしばしば目にします。

一番長い訓読みは実際のところ何なのでしょうか?

世間の説を整理したいと思います。

(長いので結論だけ知りたい方はまとめまで飛ばしてください。)

答えを出す前に…

なんでも訓読みになり得る

訓読みとは漢字が意味する言葉で読むことです。例えば「蛙」という字は昔の中国語にならって「ア」などと音読みで読まれていましたが、生物のカエルを意味する字なので「かえる」と読まれています。

ここで注意したいのは意味が通れば何でも訓読みになり得ることです。
昔の文学作品の用例を見ると「かわず」「けえろ」などカエルを指すいろんな読み方で読まれています。

極端な話、「ふろっぐ」や「げこげこ」も用例はないでしょうが訓読みとして成立します。

このように用例はないが訓読みになり得るものと訓読みとして広く使われ定着しているものを区別する必要があります。

極端に長い訓読みに異議が飛ぶ理由の1つは、「訓読みになり得るもの」を「定着した訓読み」と同格かのように語っているからです。

訓読みの3つの線引き

どこまで訓読みと認めるかの判断基準は人によりますし曖昧です。そのため、世間では次の3つの基準の意見が混ざっているように見えます。

  1. 字義(漢字の意味)が合っているものは全て訓読み

  2. 辞書の索引にあるものは全て訓読み

  3. 辞書が訓読みと言っているものは全て訓読み

これらの境界線上にある有名な漢字を紹介します。

「閄」という漢字

訓:ものかげからきゅうにとびだしてひとをおどろかせるときにはっするこえ
もはや文章だ。33音なんて絶対文章だ。作文でこの言葉を使うとき、33マスが1マスに短縮できる。

沈魚落雁羞月閉花「漢字部屋」より引用

「閄」という漢字は「ものかげからきゅうにとびだしてひとをおどろかせるときにはっするこえ」という33文字の訓読みがあるとしばしば言われています。

2006年に引用元の「漢字部屋」という個人サイトが紹介し有名になりました。

しかし、冒頭にも書いた通り、意味だと反論されることが多いです。

【閄】 漢 コク・呉 ワク
[字義]物陰から急に飛び出して人を驚かせるときに発する声。

『新漢語林(第二版)』より引用

というのも『新漢語林』という漢和辞典の意味の説明をそのまま掲載したと考えられているためです。訓読みが太字で書かれるのに対してこの説明が細字であることから、この記述は訓読みとして掲載したものではありません。

閄のように「字義(漢字の意味)が合っているものは全て訓読み」という立場をとるといくらでも長い訓読みを錬成することができます

辞書の引用の制限をなくせば更に長い訓読みも簡単に生み出せるでしょう。

ちなみに上記の個人サイトでは「訓読みは字書で索引の利便性を上げる為に与えられたものもあり、決まっていません。」と別の字の注意書きに書いています。それを見ないで訓読みと解釈してしまったために広まったものだと思われます。

また余談ですが、「閄」に訓読みが存在しないわけでもないなど結構色々勘違いされている字です。表面的なネットの情報だけではわからないことを深掘りしていますので興味ありましたらどうぞ。

「砉」という漢字

「砉」には「ほねとかわとがはなれるおと」という13字の訓読みがあると言われています。

これも異論の声が多いですが、「閄」とは少し事情が異なります。

この読み(?)は『大漢和辞典』という全15巻の漢和辞典が典拠で、別巻の「字訓索引」の「砉」に「ほねとかわとがはなれるおと」がなんと載っています。

又、くだにまいたいと・くちをうごかす・くろいくちびるのうしの類も字訓として此の中に收錄した。

『大漢和辞典』より引用(字の例は省略)

一見、辞書側も訓読みと認めているように見えますが、「字訓索引」は訓読みと字義を混ぜて収録しています。本文からも何が訓読みとしての記載なのか判断できないため、訓読みの線引きを誤るとこのような奇妙な読み方が生まれてしまいます。

他にも「うしのあゆみがおそい」などネットで見かける長い訓読みは『大漢和辞典』の字訓索引が出典であることが多いです。

20年ほど前は「漢字部屋」含め様々な個人サイトで紹介しあっていたため訓読みの線引きが曖昧になったのではないかと思っております。(大漢和辞典の字義系訓読みについては以下のサイトが詳しいです)

ただし、『大漢和辞典』以外の辞書が出処と思われることもあります。例えば先ほどの「閄」の「ものかげ~」の読みや、まっすぐにてんくうたかくとびあがるは『新漢語林』が由来でしょう。『大漢和辞典』では訓読みとされる言葉と辞書の説明文が少し異なる一方『新漢語林』では一言一句合致しているためです。

これらもこの『大漢和辞典』の凡例を他の辞書に適用してしまったことが原因で生まれたと思われます。

ちなみに『大漢和辞典』の索引には「䄈(示へんに豆)」に「まつりのそなえもののかざり」と記載があり、「砉」と共に最長です。(文字コードの都合か「砉」より耳にしないですが)

「蔘」という漢字

ここまで辞書が明言していないのに訓読みと解釈してしまったものを紹介しました。

辞書が訓読みと明確に言い張っているもので一番長いものは何でしょう?

有名なのが「蔘(ちょうせんにんじん)」です。

音 シン・サン
訓 にんじん・ちょうせんにんじん

漢字ペディア「蔘」より引用

『漢検漢字辞典 第二版』(漢字ペディア)にある最長の訓読みであるためしばしば挙げられます。

しかし本当に訓読みと言っていいのでしょうか?

私の調べた範囲では「ちょうせんにんじん」と読まれた自然用例は見つかりませんでした。

私のブログに詳細を記載していますが、『漢検漢字辞典』以外の辞書を見ても「ちょうせんにんじん」という訓読みの記載がありません。『大漢和辞典』の字訓索引に記載があるぐらいなので「ほねとかわとがはなれるおと」と同程度の妥当性しかないと思います。「ちょうせんにんじん」は万人にとって納得の行く正解にはならないでしょう。

この字に限らず漢検漢字辞典は第二版に改訂された際、かなりマイナーな訓読みまで網羅しているのでこれだけを参考にして一般知識のように扱うことには危険がはらんでいます。

ちなみに音読みの熟語を訓読みにするのは奇妙に見えますが、意外とそういう例もあります。例えば「だいだい(代々)」「廿にじゅう(二十)」「まんじ(万字)」がありますし、熟語でなければ「けつ(穴)」や「しゃく(尺)」なども音読み由来です。

そのため「ちょうせんにんじん」が漢語だから訓読みではないと決めることは難しいです。

後でも出ますが「ゼロ」「ページ」など外来語が訓読みになることもあるので訓読みは結構自由です。

ここまでのまとめ

世間で言う長い訓読みには漢和辞典の字義の説明を訓読みと勘違いしたもの、1辞書にしかないマイナーな訓読みを誇大してしまったものが多いです。

冒頭の3つの線引きでは万人に納得の行く答えを出すのは難しいです。
そのため「辞書にあるもので最長」以外に、「一般的に認められているもので最長」に分けて考えるべきでしょう。

辞書にある最長の訓読み

まずは辞書で訓読みと明言しているものに絞って考えます。

  • 鼷(あまくちねずみ・『大漢語林』記載)

  • 薜(まさきのかずら・『新漢語林』『漢検漢字辞典』記載)

  • 蘧(かわらなでしこ・『字通』記載)

上のように7文字の訓読みは多く出てくるのですが、それ以上は見つからないため(妥当性を度外視すれば)『漢検漢字辞典』の「蔘(ちょうせんにんじん)」と『新潮日本語漢字辞典』の「衳(ものしたのとうさぎ(ものしたのたふさぎ)」が最長です。

「ものしたのたふさぎ」は「裳の下の犢鼻褌たふさぎ(下袴、ふんどし)」です。

調べた範囲では『楊氏漢語抄(現存しない)』では「衳子」がこのことを指すと『和名類聚抄』に書かれており、おそらくそれに基づきます。

「ものしたのたふさぎ」と明確に字訓欄に記載されているのですがこの辞書の訓読みもかなり幅広めなのでそういう送り仮名の用例があったかというとかなり怪しいです。

余談ですが『角川大字源』の「音訓索引」を見ると「鰨(しなおおさんしょううお)」という11字の記載がありました。

しかし、この辞書の索引も『大漢和辞典』同様に訓読みの中に字義が混ざっていると明言されています。こちらは本文の凡例で訓読みか判断でき、「しなおおさんしょううお」は字義として記載されているため候補から外れました。

※ 「衳」の存在を見落としていたため追記いたしました(2024/07/19)

定着した訓読みで最長は?

もっと現実的かつ用例のある訓読みに絞れば何でしょうか?

一般的に最長と言える漢字の訓読みは「糎(センチメートル)」「竰(センチリットル)」でしょう。一般向け~大型の漢和辞典のいずれにも記載があります。

また青空文庫では「糎(センチメートル)」の用例も存在しますし、「竰(センチリットル)」も「センチリットル」とルビが振られている用例は少ないものの、googleの書籍検索を使うと戦前の用例がいくつか見受けられます。

調べると1891年に中央気象台がメートル法を表すために「」などの漢字を生み出したようです。

他サイトでは「鯢(さんしょううお)」も最長として取り上げられています。確かに多くの辞書で訓読みとして載せていますが、実際の用例を調べると「鯨鯢げいげい(大悪人の例え)」や「鯢魚げいぎょ(サンショウウオ)」がほとんどでこれ1字でそう読む用例がないため一般的な訓読みと言うのは難しいと思います。

また糎などを挙げると「粆(マイクロメートル)」や中国の元素名を表す漢字で長いのは存在しないかという意見も出ると思います。しかし、戦後に当用漢字にない難しい字が制限された理由もあり自然用例が見つかりませんでした。

まとめ

一番長い漢字の読みは訓読みをどこまで認めるか次第で
変わります。

  • 意味が通っていれば全て訓読み → いくらでも長い読みが作れる

  • 『大漢和辞典』の字訓索引を全て訓読みとみなす → 「砉(ほねとかわとがはなれるおと)」「䄈(まつりのそなえもののかざり)」(13字)

  • 『角川大字源』の音訓索引を全て訓読みとみなす → 「鰨(しなおおさんしょううお)」(11字)

  • どこかの漢和辞典が訓読みと明言しているもの → 『漢検漢字辞典』の「蔘(ちょうせんにんじん)」と『新潮日本語漢字辞典』の「衳(ものしたのとうさぎ(ものしたのたふさぎ)」(9字)

  • 一般的に定着していたと思われるもの → 「糎(センチメートル)」「竰(センチリットル)」(7字)

蛇足と余談

※以降は個人的な意見です。

長い漢字の読みには雑学的な魅力がありますが、私はもっと慎重に扱うべきだと思います。冒頭でも書いた通り「訓読みになり得るもの」と「定着した訓読み」を同格に扱うと齟齬が生まれてしまいます。辞書にあるだけで用例も(十分に)ないのにあたかも一般的な訓読みのようにみだりに扱うべきではないでしょう。

訓読みに対する様々な立場を尊重するため幅広く紹介しましたが、一般には「糎(センチメートル)」「竰(センチリットル)」あたりが許容ラインと考えています。

もちろん最長の訓読みは線引き次第で変わるのでこれが万人にとっての正解ではありません。あくまで雑学など万人に納得の行く一般的な情報として語る場合での話です。

……ちょっと辛口な締めになりましたが、この記事を書くにあたって1週間ほど図書館でいろんな漢和辞典を引けて楽しかったです。特に雑学の出処を自分の目で見られたことや本物の『大漢和辞典』を手に取れて漢字好きとして感動しました。

「鰨(しなおおさんしょううお)」はネットで誰も紹介していないので特にテンション上がりました。これが辞書内で訓読みと明示されていたら新説になったのですけれどね。

追記:薓は「ちょうせんにんじん」?

最近「薓」にも「ちょうせんにんじん」という訓読みがあるという情報が某難読漢字ゲームを通して広まっています。

実際「漢字辞典オンライン」などに記載があり、おそらくそれを参考にしたものと思われます。
これらは「薓」が「蔘」の異字体、つまり意味や読みが同じ字の関係にあることが根拠であり、「蔘」が「ちょうせんにんじん」と漢検漢字辞典や大漢和辞典に載っているから流用したものと思われます。

そのため厳しめの立場で考えればこれも訓読みと言うのは妥当性がないでしょう。

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