「氣(気)」の漢字に「米」がある真面目な理由
はじめに
気力の「気」の旧字体「氣」に関して下記のサイトのような話を聞いたことがないでしょうか?
「氣」の「米」はエネルギーの八方広がりを意味する
「気」の「メ」はエネルギーを〆(=乄)ることを意味する
そのような縁起の良さを"氣"に入って意図的に旧字体を使う人もいます。
もちろん美談としては良い話でしょうし、他人の趣味は決して否定しません。しかし、学術的には単なる憶測で実際の成り立ちは異なるということを書いていきます。
学術的な説明
元々「氣」は「贈る」の意味
上記が学術的な説明ですが、専門的なので噛み砕いて説明します。
『説文解字』という古い漢字辞典で「饋客芻米也、從米气聲。」と説明されるように、本来は「食べ物を贈る」という意味の漢字でした。これは普通の形声文字で、米が意味を、气が音を表す部分です。米などを贈るから「米」が入っているのでしょう。
一方で漢字には「仮借」という概念があります。意味は関係ないが音が近い理由だけでその漢字を用られたものです。例えば「米」に「メートル」や「アメリカ」の意味があるのも仮借です。精神の意味も仮借で増えたものであるため、精神の意味での「氣」と「米」に意味上の関係はありません。
「气」は何者か?
ただ「气」はガスの気と関係しています。
香港の大学が公開している「漢語多功能字庫」にある研究内容や、古代の資料を元に意味や字形の変遷を基に書きます。
「气」は甲骨文字で「三」のような形で雲気を表しました。全て同じ長さ横棒で書いた「三」(3)とややこしいので、金文では少し形が変わって今の「气」に近い形になったようです。
ちなみに「終わる」「遂に」などを意味する語を仮借していたため、「气」は多くの意味があります。「乞う」もその1つで、「气」が省略されて「乞」になったそうです。
一方、精神などの「気(氣)」は楚文字という昔の漢字で現れ、「既」の下に「火」という字や「气」の中に「火」という字(𣱛)で表されたようです。その後、仮借などの要因で、ガスの「气」や精神の「𣱛」などが「氣」で表されるようになり、現在のように定着しています。
なぜ「米=八方広がり」ではないのか?
「諸説あり」ではダメなの?
とはいえ、上の説明では納得いかない方もいらっしゃると思います。
「仮借」説も「八方広がり」説も表面上はしっくりくる解説ですし、一方を説明したところで他方を否定したことにはなりません。それなら「諸説あり」と片づけられそうではないでしょうか?
しかし、国語辞典の編纂者である飯間さんがおっしゃるように「諸説あり」は好き勝手に解釈して良い免罪符ではありません。
正しそうに聞こえるからこそ、なぜ八方広がり説に問題があるのかを吟味する必要があるでしょう。
問題点1:憶測に過ぎないこと
「八方広がり」の根拠は?
八方広がり説の一番大きな問題点は根拠が「氣」だけしかないことです。
この言説は下記サイトによると実は1990年に合気道家が上梓した本の一節が発端だそうです。
上の言説を見ても「氣」の「米」が含まれている理由が「氣」の説明が上手くできる点ぐらいしかありません。
また、「気」は江戸時代に行書の略体として生まれたものです。古代中国でそういう気の思想があったのかも、「乄(〆)」を意識して略したのかも直接的な根拠がないので後半も疑わしいです。
仮借説も憶測に過ぎないのか?
とはいえ「氣/気」を生み出した昔の人に直接聞かないと本当の答えは分かりません。当然、直接の根拠は仮借説にもありません。
しかし、仮借説と八方広がり説の違いは間接的な根拠があるかどうかです。
科学ではその枠組みが未知のものも予言できるかが重要な要素の1つです。例えば象形文字・形声文字などの枠組みで様々な漢字の成り立ちを説明できます。仮借の枠組みも「氣」以外の多くの漢字に対して意味が増えた理由を説明できるので自然な考え方でしょう。
一方「米 = 八方広がり」のイメージは既存の漢字でも限界があります。
例えば、「粉」なら「散り散りになっている」とか「粘」なら「ねばりけが広がる様」とかそれっぽい解釈はできるかもしれません。しかし、「粗」「糧」などは説明できるでしょうか?ましてや未知の漢字が現れた時それが役立つでしょうか?
「米」に「コメ」以上の意味を期待するのは難しいでしょう(ちなみに「粗」は元々玄米などを指す字です)
主となる対象が異なりますが、nkay様の下記記事も分かりやすくオススメです。(ここでは形声文字の意符で話を書きましたが、下記は声符の話です)
部分的にイメージが適用されていないのか?
とはいえ一部の漢字は説明できたじゃないか!と言いたくなるかもしれません。つまり、次のように仮説を修正できそうです。
しかし、哲学者のラカトシュが提唱した「リサーチプログラム」を踏まえるとこのような考えは科学的ではないでしょう。
理論の集まりの中で何かしら反証された、つまり間違いと分かった際に、仮説を放棄する必要があります。しかし、全て誤りだと認めず仮説を修正することもあります。
例えば、(公転は楕円軌道なので)地動説が提唱された当時は星の動きを完全に説明できませんでしたが、核となる説を残したことで万有引力の法則やケプラーの法則の発見につながりました。
こうした修正には、放棄しない方がいいものと、後出しじゃんけん的でズルいだけのものがあります。そこで、ラカトシュは新たな発見に発展する修正を「前進的」とし科学的だと考えました。
八方広がり説の修正は前進的でしょうか?都合の良い字だけ適応できると後出しじゃんけん的に言っているだけですし、未知の発見につながりづらい点で前進的ではないでしょう。
結局のところ、「米=八方広がり」という考えは「氣」の説明がつくだけしか根拠がありません。
近しい話で、「氣」が「気」だとエネルギー閉じ込められてしまうのが本当ならエネルギーに満ちていた「精」「糧」なども「米」を「メ」で書かれそうですが、一般的な漢字には「気」しか見られない現象です。これも「氣/気」自信しか根拠がないといって良いでしょう。
問題点2:イメージがなくても成り立ちが説明できる点
仮借の説の方が未知の漢字を予言できる枠組みに入っているという点で優れていることを書きました。
ところで、古い漢字の発音を調べると「氣」は「唏」「塈」という漢字とも同じ発音だったようです。音を借りただけなのなら「唏」でも良かったのではないでしょうか?
つまり、「氣」がわざわざ仮借された理由が何かあったという可能性も見出せそうです。
これについて考えてみます。
オッカムの剃刀
科学的な分野では「オッカムの剃刀」という原則があります。なぜ必要以上の仮定は不要と言われているのでしょうか?
これに関する有名な話に「リンダの問題」があります。
ざっくり書くと、学生時代に差別問題や社会正義に関心を持っていたリンダという女性が、現在「銀行員である」か「銀行員かつフェミニストである」かのどちらの可能性が高いかという質問をした実験です。
後者の方が条件が狭いので正解は前者ですが、学生時代の話に影響され正解率が下がるそうです。
蛇足となる条件がそれらしいと納得のいく説明に聞こえます。しかし、本当である確率が下がってしまうため、仮定が少ない方が学術的に採用されます。
「氣」の成り立ちの場合、仮借だけで説明できる以上、「八方広がり」のイメージは不要ということです。
ただし、オッカムの剃刀は「縁起が良いから選んだ」という可能性が0であるとは言っていません。しかし、先ほども書いた通り「八方広がり」という考えに直接・間接的な根拠はありません。
「よく使われていた「氣」を選んだ」とか「単になんとなく」とか他の可能性と優劣がついていないので、「縁起が良いから」と取り立てて支持する必要はないでしょう。
おわりに
道中にも書いた通り、本当の答えは分かりません。しかし、昔の人が「米=八方広がり」と考えて「氣」で表したと考えるのは、数多ある「それらしく聞こえるだけで根拠のない予想」の1つに過ぎないでしょう。
結果と予想のそれらしさだけで認められるのなら「氣」から「気」になった理由に対して、「「メ」は「四方に広がる」イメージで同じく縁起が良く簡単に書けるから」といった肯定的な予想も同等に評価するべきです。
それより「仮借」であるとだけ言った方が他の多くの漢字にも同様の現象がみられる点で自然なので、学術の世界では特に精神の「気」は「米」とは無関係とされています。
どちらの説も100%正しい/間違いとは断言できませんが、八方広がり説は偶然が重ならない限りそうではないと言えるでしょう。
また、冒頭にも書きましたが、「氣」を好きで意図的に使うこと自体は一切否定しません。鉄道会社が「鉄」だと「金を失う」になるから旧字体の「鐵」を使うといったように、「米」にあやかって「氣」を使うこと自体は別に変なことではありません。旧字体として存在した以上日本語としても間違っていないでしょう。
しかし、成り立ちであるとか大昔と関わっているなどといった話から切り分けて単なる1つの願掛けと捉えるのが良いかと思います。
余談
成り立ちではないので本筋から避けましたが、GHQが「氣」を使わせないようにした云々も、2013年に根拠のない個人の言説が発端で広まったもののようです。しかし上記の通り「気」は江戸時代から存在します。
コオロギを意味する「蛩」の成り立ちに関しても似たような話ができるので今度書こうと思います。
主な参考文献
裘錫圭(著) 荻野友範 稲畑耕一郎 崎川隆(訳) 『中国漢字学講義』 (2022) 東方書店
伊勢田 哲治(著) 『疑似科学と科学の哲学』(2003) 名古屋大学出版会
「小學堂」 https://xiaoxue.iis.sinica.edu.tw/ 中央研究院 (2024/11/17 閲覧)
その他道中で紹介した書籍やサイトを参考にしています