なぜ慣用読みを悪とする世間のマナーはいい加減なのか【漢字】


はじめに

漢字の読み方には「慣用読み」という本来の読み方ではないものの慣用的に読まれているものがあります。

重複 … ちょうふく → じゅうふく
早急 … さっきゅう → そうきゅう
代替 … だいたい → だいがえ
貼付 … ちょうふ → てんぷ

例えば、上記の左側が伝統的な読み方、右側が慣用的な読み方です。よく日本語マナーでは慣用的な読み方を不正解とする情報が広まっています。

慣用的な読み方は間違いでしょうか?

結局は「伝われば良い」のです。これは慣用読みを正当化する言葉であり、逆に誤読を取り締まる言葉でもあります。だからマナー自体は全て軽視していいものではありません。

一方、ネットに濫立するマナー記事や動画は極論気味、立場が不明瞭、誤った推論など問題だらけです。

本記事では、慣用読みは白黒つけづらいことを述べた後、ネットの漢字マナーの問題点を書いていきます。

注意

辞書には「慣用読み」とは慣用音(古い中国での漢字の発音がルーツではない広義の音読み)を用いた読み方と書かれていることが多いです。しかし、この定義だと「早急」を「サッキュウ」と読むのが慣用読みになってしまうなど一般論と矛盾するのでここでは「慣用読み=慣用的な読み方」と扱います。

「正しい日本語」とは何か?

マナー自体に対する指摘の本題の前に、主義的な話について書きます。

そもそも「正しい日本語」の「正しさ」とは何でしょうか?

言葉には「規範主義」「記述主義」という2つの考え方があります。規範主義は言葉のルールに合うかを重んじる立場、記述主義は言葉の用例や実態を重視する立場のことです。

慣用読みに限らず正しい日本語論争が起きる原因は、「正しさ」の定義が曖昧であるため、両者の立場で意見が食い違っていることにあると思います。同じ慣用読みでも規範主義的には「伝わっているからOK」ですし、規範主義的には「本来の読みではないからNG」です。

どちらかだけが正しいわけではありません。伝わるから・辞書に載っているからといって、賛否両論・瑣末な読み方を正当化するのは慎重になるべきですし、大多数が使っている表現を本来の読み方ではない理由で切り捨てるのも、実態と乖離しているでしょう。

いずれの意見にしても、「相手を推量して自分の意図を伝えたい」という考えは共通しているはずです。それが「正しさ」だと私は考えています。

日本語の乱れを過剰に正当化するのは「相手を推量する」という観点から不適切ですし、本来の読み方に拘泥しすぎるのは「意図を伝える」という観点から不適切と言えるでしょう。

ふさわしい読み方

規範主義と記述主義の中立的になるべきだとは書きましたが、どういう読み方がふさわしいのでしょうか?その判断基準に次の3つがあると考えています。

  • 本来の読み方

    • 相対的に古くに使われていた読み方

  • フォーマルな読み方

    • 社会や公式の場で好まれる読み方

  • 一般的な読み方

    • 広く使われている読み方

観点を変えて考えると適切な読み方が変わるものもあります。

例えば「一段落」は今日では「ひとだんらく」と読むことも一般的になりつつあります。しかし、元々は「いちだんらく」が正統な読み方でした。NHKでも伝統を重んじて「いちだんらく」を使用しており、フォーマルな場ではこちらの読み方が好まれると言えるでしょう。

次に「輸入」についてですが、本来の読みは「しゅにゅう」でした。「輸」の音読みがかつては「シュ」だったからです(現在でも中国語や韓国語にはs音が残っています)。しかし、現代日本語では「シュ」の音が常用漢字表からも外されており、テストなどでもまず不正解になるでしょう。現代においてはフォーマルな読み方も一般的な読み方も「ゆにゅう」であると言えます。

このように規範主義・記述主義のバランスを踏まえると明確に正誤の線引きは難しいでしょう。正しい読み方は1つだけであるとか、100%正しい・間違いと判断しないことが大切です。

こうした複数の基準を照らし合わせて、読み方を柔軟に考えることが、言葉の判断で求められるのではないでしょうか。

○×で決めたがるマナー

その一方で漢字マナーが○ではない読み方を×と決めつけたがることは問題点といえます。

貼付 ×はりつけ ○ちょうふ
思惑 ×しわく ○おもわく
建立 ×けんりつ ○こんりゅう

※ これらは×側も100%ダメではない

漢字ドリルのように適切な読み方だけ紹介すれば穏便に終わるのに、不正解例を示したフォーマットを用いたがる悪弊があります。

確かに適切に伝わる○の表現を紹介したいという気持ちはわかりますし、先ほどの基準で考えても多くの読み方は○の読み方の方が相対的に適切です。

しかし、「猛者」を「もうじゃ」と読むのような単なる読み間違いと、「他人事」を「たにんごと」と読むような読み方の揺れを同じ×に分類して良いのでしょうか?

不正確で嫌う人もいる読みとはいえ、何の違和感もなく「たにんごと」を使用する人が一定数いる以上、完全な黒とは言えません。傾向はあれど絶対的なマナーではありません。

そういったグレーなものをひっくるめて白黒つけてしまっていることが不満を呼ぶ問題点です。

全ての「本来の読み方」は守れない

続いて論理的な問題点に移ります。

慣用読みと伝統的な読み方の中立的になるべきとはいっても、そのバランスは人それぞれです。

しかし、マナーを見ていると、極端すぎたりバランスがコロコロ変わって一貫性がない主張を目にします。

その原因の1つに「本来の読み方」の理解不足があると思います。

もし本来の読み方が絶対であるならば、奈良時代など漢字が日本に伝来した時点の発音にまで遡らなければなりませんが無理でしょう。実際には、現代に生きる私たちは言語の変化をどこかで受け入れています

慣用読みマナーは「現在進行形で読み方が変化しつつある言葉に対して伝統的な読み方を重んじるべき」だと言いたいのだと思います。それは理解できますが、その一方で、すでに変化しきった言葉に対しての扱いが言葉によってまちまちで何が言いたいのか理解に苦しむものがあります。

典型的な悪い例として、こちらのサイトの記述を取り上げます。

こちらには(公開当初)次のような注意書きで以下のような単語を挙げていました。

※ 正しい読み方は時代とともに変化したり増えたりします。間違った読み方が多数派になれば、それが慣用読みとなって辞書にも掲載されることもあります。そういった最近では一概に間違いとは言えないものも含まれています。元々の正しい読み方を知っておきましょう。

上記サイトより引用(2023年6月時点)
  • 声を荒らげる(○あららげる ×あらげる)

  • 肉汁(○にくじゅう ×にくじる) 

  • 捏造(○でつぞう ×ねつぞう)

  • 詩歌(○しいか ×しか)

  • 老舗(○しにせ ×ろうほ)

「荒らげる」や「肉汁」は今日ではどちらの読みも一般的なので、×とするのは言い過ぎに感じます。とはいえ、伝統的な表現であることから○の方がふさわしいでしょう。

「捏造(×ねつぞう)」は直感に反しますが古くは「でつぞう」と読まれていたようです。元々の正しい読み方を知るコンセプトを飲み込めば理解はできます。

一方で「詩歌(×しか)」や「老舗(×ろうほ)」は、実は×の方が本来の読み方です。「しか」が音変化して「しいか」になりましたし、「老舗ろうほ」という漢語に「しにせ」という訓読みを与えて「しにせ」が一般的になったものです。

もちろん、今日の使用頻度を考えると○の方がふさわしいでしょう。しかし、同じ変化しきった言葉の中で「詩歌」の「しいか」は○で「捏造」の「ねつぞう」は×なのでしょうか?

このように日本語のマナーを精査すると矛盾していることが多々あります。

原因はおそらく類似サイトの情報を鵜呑みにしたためでしょう。さまざまな立場の情報をみだりに1つにまとめたばかりに一貫していない主張になったと思われます。

検討せず、不正確な情報が混ざっていることを、「言語は変化する」などの常套句で言い逃れるのははっきり言って杜撰です。

論理的な誤り

多くの情報は正解/不正解だけ示すことがほとんどです。一方で、理由を書いているサイトもありますが、その根拠自体も間違えていることがあります。

「重複」はなぜ「ちょうふく」?

よくあるのは都合の良い事例だけを取り上げて正当化しようとする誤謬です。

「重」の字を「重なる」の意味の時は「チョウ」、「重い」の意味の時は「ジュウ」と読み分けるため「重複」は「ちょうふく」が正しい

よくある説明

「重複」にはしばしば意味による読み分けがあると説明されますが間違いです。「重なる」の意味でも「重版」「二重」のように「ジュウ」と読む熟語が反例として多く見つかります。

さらに「慎重」を「慎みを重ねる」から「しんちょう」とするなど(本当は「慎み重々しくする」)辞書を引けばすぐわかるのに身勝手な解釈をすることさえあります。

詳細は下記の記事に書いていますが、「ちょうふく」と読まれる理由は単に慣例です。

他にも「はりつけ」は「貼り付け」と書くから「貼付」を「はりつけ」と読むのは間違い、和語+漢語は間違いなので「一段落」は「いちだんらく」と読むべきなど、疑わしい推論や反例のある説明も目にします。

「洗浄」を「せんじょう」と読むのは間違い?

2023年、ある書道家YouTuberが「洗浄」を「せんじょう」ではなく「せんでき」が正しいとするショート動画を公開し話題となりました。

しかし、これは「洗滌(せんでき、せんじょう)」という古い表記を「洗浄」に適用した誤った主張です。詳しくは下の記事に書いています。

この誤解の発端は、おそらくねとらぼの誤った記事ですが、2024年以降も再投稿や無断転載などで定期的に話題になっています。

日本語の雑学を扱うYouTuberやアフィリエイトサイト、情報商材を扱う人々が、しばしばこの種の話題を格好の的にしています。

こうした人々は正しい情報を伝えることよりも、注意を引くことだけを目的としているのではないかと感じます。「捏造」の例も「「ねつぞう」は本来の読み方ではない」と言うよりが「「ねつぞう」は間違い」とした方が奇を衒っているでしょう。情報の正確さや妥当性は当人にとっては重要でないので、指摘されても無視されるか誤魔化されるのがオチです。

おわりに

伝統と慣用の選択は、使用状況と相手によって変わります。傾向はあっても絶対の正解・不正解はありません。つまり、正しさはグラデーションのように存在するという意識が大切です。

慣用読みは全て白でも全て黒でもありません。ただ、適切な日本語マナーは傾向をつかむための道標になるでしょう。

しかし、世間の日本語マナーは、様々な立場の意見を寄せ集めているだけです。△ぐらいのものを○か×かだけで分類したり、誤った根拠付けや一貫性のない主張が広まり、その意義を失っています。

要するに、誤った推論や曖昧な主張であると理解していない、あるいは目からそらしたまま、みだりに白黒つけていることが日本語マナーの問題点です。

マナーであるのならきちんと調べて発信するべきですしグレーならグレーと伝えることも大切です。何よりマナーなのだから他者に寛容になり自己を戒めるために使うべきでしょう。

また、1つ付け足すなら、熟語の読み方や音読みは歴史的に大きく変化しており、ネットで流布する情報は氷山の一角に過ぎません。例えば、「卒去(しゅっきょ→そっきょ)」や「登山」の「」など、本来の読み方とは異なるものが普及していても、何の違和感もなく使っていると思います。本当に本来の日本語を重んじたいのなら一部だけ見て満足して良いものはありませんし、こだわったところで日本語の実態から遠ざかると思います。

だからこそ、正解は1つだけではないと考える姿勢も大切です。


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