『東大王』に見る難読漢字クイズを作る難しさと競技性
※ 全部で 7000 字ほどあるので 300 字程度の本記事の要約(まとめ) も末尾に書いています。
はじめに:作るだけなら簡単
突然ですが難読漢字クイズです。
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正解は「薤(らっきょう)」「蹠(あしのうら)」「衢(わかれみち)」です。
正解した方はお見事です!
話は変わりますが、難読漢字クイズの構造はコンパクトです。「漢字(問題)」と「読み(答え)」の組み合わせだけで問題が成立するためただ作ることは普通のクイズと比べてかなり楽です。漢字の造詣が深くなくても辞書の漢字一覧を参考にしたり他のクイズを真似したりすれば同じように作れるでしょう。
しかし、適切な難読漢字クイズを作るには漢字に対するリテラシーと一般のクイズ相応の配慮が必要です。
意地悪な問題をもう1問出します。正解は本文の半ばで出すので考えてみてください。
この問題の鍵となるのは情報の妥当性です。構造がシンプルすぎるために素人目ではその妥当性を問題だけでは判断しづらく、世間の問題は玉石混淆としています。
本記事では、難読漢字クイズをきちんと作ることの難しさについて書きます。その一例として、かつて出題・正誤判定を誤りネットで物議を呼んだ番組『東大王』の難問オセロ(漢字クイズ)の問題を紹介します。
クイズの妥当性とは?
ホスピタリティ
QuizKnockの伊沢さんが書いた『クイズ思考の解体』というクイズの出題・解答側の思考を紐解いた本があります。本書ではより良い問題を作るために必要となる作問者の「ホスピタリティ」、つまりミスリードさせることなく相手に答えさせる配慮が説かれています。ホスピタリティには「正しさ」と「一意性」が必要という考えは、漢字クイズにも言えるでしょう。嘘の読み方は出せないですし、別解があれば解答者を困らせてしまいます。
冒頭の3問は「正しさ」と「一意性」の観点で一見は問題ないように見えます。これらの読みはいずれも『漢検漢字辞典』にある唯一の5文字の訓読みです。
しかし、本当に「正しさ」と「一意性」が保たれているのかは1冊の辞書の枠を超えて考える必要があります。
訓読みは自由
訓読みという概念を改めて考えます。
訓読みとは、漢字が指している意味の言葉でその漢字を読むことです。例えば「犬」が「いぬ」という動物を意味しているから「犬」と読みます。
極論聞いたことない読み方でも意味があっていれば、言語表現の面では問題ありません。極論「犬」でも成立します。
このように記述主義的に考えれば「意味が通っていれば何でもいい」です。しかし、それだと屁理屈が正当化されてしまいますしテストやクイズも意味がなくなってしまいます。そのため、「一般的な表現であるべき」という規範主義的な観点も必要です。
何を一般的とするか難しいですが、学校なら常用漢字表などが、漢字クイズなら辞書などが基準になるでしょう。
「彷徨う」は何と読む?
訓読みの自由さを踏まえて「彷徨う」を読ませる問題を考えてみましょう。
記述・規範主義の両方の考えを当てはめると次のように言い換えられます。
「漂い歩く」のように「ただよう」にも「さまよう」の意味があります。「彷徨う」と屁理屈気味な回答をすることもできますが、「一般的な解釈」という注意書きで弾くことができます。
ここで注意したいのは「さすらう」です。今日では「流離う」の表記が一般的ですが、昔の文学作品では「流離う」より「彷徨う」「漂泊う」が使われていました。
このように漢字クイズは知らない別解が存在することがあります。一般的な「さまよう」を模範解、「さすらう」を別解と捉えるのが良いと思います。
妥当性のグラデーション
とはいえ、実例があればなんでもいいわけではありません。
例えば、今年(2024年)ヒットしたボーカロイド曲の『メズマライザー』では「脆弱性」を「ぜいじゃくせい」ではなく「きじゃくせい」と(意図的に)読んでいます。
その事実を受けて、国語のテストで「脆弱性」を読ませる問題で「きじゃくせい」を正解とするのは抵抗感があるはずです。
確かに訓読み・熟字訓の中には、公演名由来「殺陣」や、曲名由来の「秋桜」のように創作物に起因するものもあります。しかし、「脆弱性」はこの歌詞の中で留まっている以上、言語表現の世界では誤読の範疇でしょう。
先ほどの「彷徨う」も小説内の表現ですが、歌詞以上に言語性も強いため私は寛容的に捉えました。もちろん、これも創作だからとバッサリ切る考えもできるでしょう。
これらの例を踏まえると、読み方の中に妥当なもの・妥当でないものがグラデーションのようにあると言えるでしょう。用例が定着したものが訓読みとなっている以上、その濃淡には使用頻度が大きく影響しています。
グレーな読み方は近代・現代の用例に限りません。例えば古い辞書を見ると「流」には「ながる」以外に「うかぶ」「たぐひ」「くだる」「ともがら」など多くの訓読みが編み出されました。その中で多く使われた「ながれる」「ながす」が生き残り今日訓読みとして知られています。
訓読みと訓読みらしきもの
一番言いたいこと
こういった訓読みのグラデーションを、漢字クイズでは競技化するために「辞書」などの基準を使って線引きしています。屁理屈解答を弾けるだけでなく、正誤判定の基準をブラックボックスにさせない効果があるでしょう。
しかし、用いた辞書によって基準のラインが変化することが重要です。
例えば私の下記ブログ記事で書いたように『漢検漢字辞典』はグラデーションの外側に近いものまで幅広く訓読みと認める傾向にあります。つまり、用例もないだろうし他の漢和辞典にも載っていないようなものまで訓読みとして掲載しています。
幅広く扱うこと自体は学習目的なら分かりやすいかもしれませんが、クイズで出す上では次の注意が必要です。
字義の解釈の中で定着したものが訓読みである以上、編纂者の一解釈に過ぎないからです。
辞書に掲載されているから妥当という考えもできます。しかし、怪しい読み方は他の漢和辞典には載っていないケースが多いため、辞書に携わるプロの多くが認めているものではないことに留意が必要です。
また、1つの辞書が過不足のない正解を示した基準ではないことに注意が必要です。例えば「貯める」という表現も実はほとんどの漢和辞典・漢字辞典に載っていない近年生まれた読み方です。しかし、誤りと思う人はいないでしょう。
そのため「特定の辞書に載っているかどうか」という1つの視点しか持っていないと、別の立場では妥当な解答なのに不正解になってしまう可能性もはらんでいます。
「はじめに」のクイズの答え
冒頭の問題ですが「薤」「蹠」は用例が存在する一方、「衢」は現代の意図的な創作以外で見られません。
そのため、避けたい問題は「衢」です。
これも字義を踏まえると「えだわかれ」など近しい屁理屈解釈ができます。
漢語(辣韮)や1語ではないもの(足の裏)が訓読みであることに不自然に思った方もいらっしゃるかもしれません。確かに訓読みは大抵和語の1語です。しかし、「代々」や「竹の子」から来ている橙や筍など漢語や複合語が訓読みになることは存在するため、明確に否定する根拠にはなり得ません。
東大王でかつて起きたこと
TBSのクイズ番組『東大王』では「難問オセロ」という難読漢字クイズが人気でした。年々オセロの戦術も漢字の知識も高度になり問題も難化していきました。そして2022年に爛熟したように思えます。
その頃に、『漢検漢字辞典』や『漢検要覧』のみを出典として問題が作られていた(と推察される)ためにネット上で物議を呼びました。当時の問題を振り返ります。
稚い≠おさない?
2022年5月の放送回で「稚い」を「おさない」と読んで不正解となるシーンがありました。
上記のように『漢検漢字辞典』に掲載された「わかい」「いとけない」が想定解でした。『デジタル大辞泉』など国語辞典を見る範囲でも分かるように現代では「いとけない」が一般的です。
しかし、青空文庫で昔の用例を見ると「稚い」という用例が100例以上存在します。「稚い」の約7倍です。『角川新字源』など他の漢和辞典にも「おさない」が訓読みとして記載されています。また、「おさない」も「いとけない」も同じ意味なので訓読みとしても自然でしょう。
それを「『漢検漢字辞典』に載っていないから」という理由だけで不正解にするのは問題がありますし、作問者の下調べ不足だと思います。
籤う=うらなう?
2022年8月に行われた「漢字検定1級の動詞編」は悪い意味で最高難易度だったと思います。
その中の1つが「籤う」です。
「彷徨う」の時のように、「籤う」の問題を当てはめると上のようになります。
この読みは『漢検要覧』が出典と思われます。しかし、『漢検漢字辞典』を含めて一般的な漢和辞典にも載っておらず、用例も存在しないでしょう。
この「一般的な解釈」を『漢検要覧』が人工的に生み出した記述だけで担うのは厳しいと思います。「籤う」は「訓読み」というより「そう読めなくもない字義」です。
このように、用例のない漢字の読み問題は「意味当てひらめきクイズ」になってしまいます。ひらめき力も必要な『東大王』のコンセプトには合うかもしれませんし、実際、「籤」からの推測からか、番組内で正解は出ていました。
それでも、同回で出題された「矍す」などの問題は推測が一切できませんし、漢検などで勉強していても出くわさない字義なので、丸暗記でもしない限り正解できないでしょう。
(ちなみに漢検自体は実例に基づいた出題なので、こういった字義レベルの読み方は原則出ません。)
漢検漢字辞典カルトクイズ化
クイズというのは時に不健康です。一見、学術的価値の薄そうなことを丸暗記することも時に必要です。しかし、上のようにその知識が学術的な内容への原動力になることもあるので必ずしも無価値ではありません。
また、知識を競技化している以上、その不健康さを飲み込んでいます。漢検漢字辞典だけに依拠する行為も競技化の観点では妥当かもしれません。
しかし、競技という観点で見ても漢検漢字辞典の理解度で実力が決まるカルトクイズに陥ってしまうことを懸念するべきと私は考えています。
漢字の知識は漢検の辞書にしがみつくだけで決まるものではありません。「漢字が得意」と一言にしても様々いるのに「漢検の資料を読み込んでいるか」の尺度だけで測るのは公平でしょうか?
より一般的な難読漢字を出題したり、漢検漢字辞典以外に依拠したりするなど、クイズにより多く正解できるためのルートをたくさん作ることで健全な競技にすることができると思います。
ネットには「漢字でGO!」など、さらに難しい漢字を扱うクイズがあります。実例主義的に見ると、クイズの健全性には疑問が生じるかもしれませんし、学術的な批判も耳にします(私も懐疑的な部分があります)。しかし、このような高度な問題では大型の辞書や古辞書などさまざまな出典を利用されています。その上で、辞書などに記載があるという制限を暗黙の了解として受け入れているから競技性のあるクイズとして成立しているのだと捉えています。
漢字クイズに求められる姿勢
以上を踏まえるとテレビで出す漢字クイズは出題する題材には厳しく目線と幅広い視野を持ち、正誤判定は寛容になるべきでしょう。もちろんこれは普通のクイズにも言えることです。
「難問オセロ」は怪しい解答でも想定解になければ即失格になる厳しいルールです。だからこそ別解を多く想定する必要があります。
そのためには、自然な文脈で用いられた実例の存在を確認する、複数の辞書などを参考にするといった確認しないといけません。
前者に関しては、小型漢和辞典に漢文の訓読の例文があることが多いので後者を満たせば前者も自ずと解決するはずです。
また、「Aという漢字はBと読む」という情報は「Aという漢字はB以外には読まない」とは限らないことを念頭におく必要があります。正解だけに囚われていると道中の例のように「彷徨う=さまよう」「彷徨う≠さすらう」と判断してしまい不備が生じてしまいます。
2023年以降の東大王
東大王を非難気味に書いていましたが、2023年以降は健全な問題が増えた印象です。監修が入る前の難易度に落ち着いていたと思います。
また正誤判定もしっかりするようになっていました。顕著だったのがクイズ甲子園で「幽か」を「ひそか」と答えて正解になったシーンです。『漢検漢字辞典』含め多くの辞書では「かすか」しか載せていなく、インターネット上では騒がれましたが、『字通』という辞書に載っているため正解になったものだろうという結論に至っています。
今後の展開に期待したいところですが、今月(2024年9月)に最終回になるのは心惜しいです。
おわりに:ポスト東大王
適切に漢字クイズを作るには、漢字の知識量やクイズ制作のスキル、さらに漢字に関する情報を適切に理解し判断する力が求められます。前者2つに優れている方は多いですが、後者のリテラシー力を高めることは博識なだけでは解決しません。(実際、漢検準1〜1級を取得した頃に不用意な問題を作ってしまい、振り返るとつめが甘かったと感じることがあります。)
「難読漢字」を扱うクイズ番組は多数あります。そのほとんどは(難読漢字として)一般的なレベルであるため大きなことは発生していません。しかし、2009年前後の漢検ブームだった頃の『Qさま!』や、2021〜22年の『東大王』など、レギュラー出演者の実力が成熟し、それに伴って問題が難化していくと上のような厄介が生じてしまいます。実際『Qさま!』でも2016年に4択形式ではあるものの「籤う」が出題されるなど疑わしい問題がたまに出ています。
今後そのような番組が現れたとして、意味当てクイズ化、特定の資料のカルトクイズ化を避けるためには、多くの辞書を引いて判断することや、どういった勉強をすれば正解できるようになるかを想定することが大切だと思います。
漢字クイズをただ作るだけなら簡単ですが、良いものを作るなら一般の競技クイズ相応の配慮が必要です。
まとめ:本文の要約
辞書に載っていても実例がないであろう訓読みは出題を避けるべき。『漢検漢字辞典(漢字ペディア)』などにはそのような訓読みが多くある傾向にあるため注意が必要。
特に1辞書だけに依拠してその辞書特有の訓読みを出題すると、正解する目的でも不正解を避ける目的でもその辞書の丸暗記が求められるため、クイズという競技性の観点からも不公平になってしまう。辞書の一解釈を受け入れるかどうかに関係なく、妥当・公平な問題作りには多くの辞書を参考にすることが求められる。