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最近,新しい友達が増えたので「僕」がわかるnoteを作りました

「初めまして」の方に,
僕が何をやっている人なのかを説明するのがいつも難しくて困っています。

簡単にいうと教師なんですが,
普通の学校の先生がTV局のアナウンサーさんだとしたら,
僕はフリーアナウンサーさんのようなワークスタイルで中高の教師をしています。

そこに至るまでにはいろいろあったのですが,
「初めまして」の方にも,
読んでもらえたらわかる程度に簡略化して僕の半生を書きました。

※忙しい方は目次最後の「今何をやっている人か」までジャンプしてください。


幼少期〜中学生

1980年 横浜市生まれ。
小学1〜2年生の頃はゴリゴリにイジメの標的に。
3年生でクラス替えしたらパタリと止む。
小学4年生から3駅離れたスパルタ系進学塾に通い,
私立中高一貫校に進学。

中1でまたゴリゴリのイジメの標的に。
その上,厳しい受験勉強のせいで勉強が大嫌いに。
中2の1学期末の数学の試験で,△2つだけの5点を取る。
中3の記憶はほとんどない。イジメの標的にならないよう,
僕史上,最も目立たず生きていたのだろう。

高校時代

教師を目指すきっかけになった,
全盲の数学教師の河村光左右先生に出会ったが高1のとき。

その後,高3のときに着任した日本史の平岡典士先生の授業が
僕には刺さり過ぎて,絶対に日本史の教師になることを決めた。

平岡先生の200ページ近いプリントは今でも全て保管してあるのだが,
そこには将来にそなえて授業の教え方までメモがしてある。

大学時代〜20代前半

中央大学文学部史学科日本史学専攻に進学。
(↑これを履歴書で手書きするの地獄だった)

教職課程も履修し,
中学社会・高校地歴・高校公民の3種類の免許状は取得したが,
中高時代に部活でやっていたスキーを続けたくて,
大学卒業後すぐには就職はしなかった。

夏は横浜でアルバイトや契約社員をして,
冬は海和俊宏さんのスキースクール。

こんな生活を25歳まで続けるのだが,
この「好きを選択する」がまさに”自分の人生”なのである。

20代後半〜東南アジアへ〜

同世代たちが出世したり,結婚したり,家を購入したりしているのを見て
若干焦る気持ちが芽生えてきた。
僕がもっと社会に提供できる価値は「教育」なのではないだろうか?と。

そこで,25歳になる年のG.W後に下山し,すぐに職を探し,
6月から帰国子女専門塾の正社員になった。

6月後半からは一時帰国中の小中高生向けの夏期講習が始まるので,
極度の人手不足だったらしい。すぐに採用が決まった。

秋に2度のマレーシア出張を経て,東南アジア耐性があると思われた僕は,年が明けて1月にシンガポールへ出向した。

仕事はシンガポール在住の日本人子女向けの塾講師(国語・社会)なのだが,
実は,1年後に閉鎖するのでその準備と処理をするというということを,
現地に赴任してから知る。

1年後のシンガポール校閉鎖後,
隣国マレーシアのクアラルンプール(KL)校へ出向。

KLは僕の生き方にとてもマッチした国だった。
いい意味で適当で,みんな焦らないし,急がない。

が,塾の経営は厳しかった。
ちょうどリーマンショック後ということもあり,
なかなか生徒が集まらなかったのである。
月給の支払いが遅れることが度々あった。

とはいえ,物価が安いのでそこまで生活に困窮することはなかったが,
遅配は「もうこの仕事を辞めて帰国しろ」っていう啓示かもな,と思い,
次の仕事も決めずに28歳の3月末で退職。帰国して実家に戻った。

※その後,給与の遅配分は東京の本社から振り込まれました。

次年度4月から公立中・高で働こうと思い,
教採試験を受けたが,2次試験で不合格に。

こうなったら憧れだった神主になろうと思い,
國學院と皇學館の大学院の入学案内を取り寄せた頃,
教員募集サイトで広尾学園中高が日本史の教員を急募,という記事を発見。
当時としては珍しくEメールで履歴書を送れ,とのことだったのですぐ送信。

その日の夜に電話が来て,木曜日に模擬授業をしに来てださい,と。
木曜日に高3のときの平岡先生のプリントをアレンジして,
日清戦争前の東アジア情勢について模擬授業をしたら,
「月曜から来てください」と採用が即決定。

29歳の11月,広尾学園の非常勤講師として教師デビューをした。

その後,おそらくICTに詳しいことが幸いし,
4月から専任のオファーをいただき,
非常勤歴5ヶ月で専任になるというスピード出世(?)を果たした。

30代〜まるまる広尾学園時代〜

1年目(30歳になる年)から担任を持たせてもらい,
退職するまでの10年間で,
中一を1回,中二を3回,中三を3回,
高一を1回,高二を1回,高三を1回ずつ担任。

分掌は,生徒会顧問を4〜5年ほど担当。
他にはICTやキャリアも担当。

この10年間で,広尾学園は都内でも屈指の人気校に成長していった。
それと同時に世間からは「大学合格実績」への期待が高まっていた。
おそらく理事会や管理職はそのあたりを声を敏感に感じ取っていたのだろう。
現場は,如何にして国公立・早慶上理・医学部の合格者数を伸ばすか,
が暗黙の至上命題になっていった。

僕は教育の方向性の違いを感じ,退職することを決意
次の就職先を決めずに退職届を提出してしまった。

その頃,中国で新型コロナウイルスが蔓延し始めて,
瞬く間に日本にも上陸。
3月1週目で学校は突然休校になってしまった。

辞めることを生徒や保護者たちにしっかりと伝えることができなかったのが残念だった。

40代〜複業教師になる〜

横浜創英中高

広尾学園に退職届を提出後,
あるイベントで新渡戸文化学園(当時)の山本崇雄さんと出会ったことがきっかけで,
4月から横浜創英の社会科非常勤講師に就くことが決まった。
2月末のことである。

が,コロナで日本中がパニックになり,
授業はおろか,企業活動もまともにできないだろう,という状況で,
4月1日に横浜創英中高の校長に工藤勇一さんが就任することが発表された。

人生で初めて腰を抜かした。

あの憧れだった工藤さんと同じ学校で働ける!

非常勤講師という立場でありながらも,
工藤さんと校長室でたくさんお話ができたことは,
僕の人生の宝物です。

とても良いスタッフたちに恵まれて,
かつ働きやすい職場だったのだが,
通勤時間が1.5hほどかかってしまうため,
だんだん体がしんどくなってきてしまい,
横浜創英は2年後に退職した。

一般企業に就職するもスピード退職

実は横浜創英で働き始めたと同時に,
ある一般企業の正社員としての仕事もスタートしたのだが,
慣れない一般企業の働き方に参ってしまい,2ヶ月でスピード退職した。

でもこのスピード退職は今でも僕に大事なことを思い出させてくれる。

そもそも,なぜ広尾学園を辞めたのか?
それは,方向性が違う仕事をし続けることが,
自分の人生の無駄遣いしているように感じてしまったから。

であれば,たった2ヶ月だけど「自分に合わない仕事は辞めよう」と
すぐに決断できたことは何も間違っていない。
人生は短い!好きなことを選ぼう!と。

フリーランス業のはじまり

すぐに開業届を提出し,個人事業主として活動を開始。
ここに,フリーランス×教師という複業教師が誕生した。

学校向けに教材を作っている企業や,
AIドリルを作っている企業や,
全国模試をつくっている企業など,
特に教育系企業からお仕事の依頼をいただいてきた。

中でも珍しい案件が,歴史上の人物のカードゲームを制作している企業からのお仕事依頼。
歴史検定1級(日本史)を持っているということで依頼をいただいた。

今後も継続しそう案件なので1つ具体的にご紹介できるのが,
ベネッセ主催のみらいキャンパス

僕はここで日本史の対話型探究教室の講師をやっている。
ここでは「歴史大好き!」な小中学生同士がオンラインで繋がって,
まるで部室のように互いに対話しながら学びを深めていく,
という時間を作っている。

文京学院大学女子中高

フリーランス2年目から文京学院大学女子中高の探究科講師として,
主に午前中に勤務している(4年目)。

宝仙学園理数インター

フリーランス4年目から宝仙学園理数インターの探究科講師として,
主に午後から勤務している(2年目)。

宝仙では中学は「理数インター」,高校で「探究」の講師として契約しているのだが,
文京学院同様「探究」一本で契約している非常勤講師は全国的にも珍しいのではないだろうか。

主夫

これを書くと妻に叱られそうなので先に断っておくと
妻も家事をしているので決して専業主夫ではない。

ただ,私はおそらく結婚している一般男性よりも家事担当率は相当高いので,
主夫を名乗ることにしている。

主に,毎日の夕食作りから皿洗いまで私の担当なのだが,
これが実に性に合っている仕事なのである。

授業と違って料理は,
手順通りにやれば必ずゴールに辿り着くからである。

普段は,どんな授業をしようか考えを巡らせ,
当日は30数名を相手に50分後にどんな展開・結末になっているか,
やってみないとわからない,という仕事をしている身からすると,

料理は手順通りにやれば必ずゴールに辿り着くので,
ある意味,無心になれる時間なのである。

その上,家族が「美味しい!」と喜んでくれる。
なんと最高&最幸なのだろう!!

今後も料理だけは続けたいと考えている。

今何をやっている人か

結論,今は,
文京学院大学女子中高と宝仙学園中高で中高教員をしつつ,
複数の企業と業務委託契約をしているフリーランサーで,
家に帰ると毎日夕飯を作る主夫をやっています。

自己紹介と関係ないのですが,
「思うは招く(inspired by 植松努さん)」なので,宣言します!

近い将来,キャンピングカーのオーナーになるぞ!

今後ともよろしくお願いします。

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