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俺は俺を生きているか?

※この記事は、TABIPPOさんの「僕が旅人になった日」という本の書評です


未来のために『仕方ない』と、今を無理やり納得するしか、諦める自分しかいないのが悔しい

そんな一節が本の中にあった。タイトルは『僕が旅人になった日』。
20人の旅人が、自分の原体験を語る。そんなエッセイ集を読んでいました。

はっとさせられるような、何か心にひっかかりを作るような、そんな本でした。なんではっとしたのかを紐解くために、ぼくの今の状態とかそうなるまでの経緯をふまえながら、話していきたいと思います。


ぼくは仙台生まれ仙台育ちの大学四年生です。

今年度は休学しており、今は北海道にいます。北海道にいる経緯を話すと…

コロナウイルスの影響もあり、今年予定していた留学がなくなったんです。一気に人生設計が崩れ、絶望の中くずぶっていた私に、知り合いから「うちの会社を手伝わないか」と言ってもらえて。

「行かせてください」と、即答しました。

あの決断をしたときの自分は、とてもかっこよかったと思います。

北海道でやりたいこととか、将来設計とかを作り直して「理想の自分になる」ために、めちゃくちゃ頑張ってやろうと息巻いていました。

しかし、北海道に来てみると、今まで見えてこなかったことが見えてきます。自分にできることとできないことを目の前で突きつけられ、妥協し、あの日思っていた理想とはほど遠い生活を送っている自分がいるのに気が付きました。

現状を受け入れることは、賢いことの証明ではありません。
今の自分と未来の自分を見比べて、「その未来に行くのは現実的に難しいよね」なんてことを言って、分かったふりをしてる自分がいます。その道で無理やり納得しようとしている自分がいます。

冒頭のセリフが入っているエッセイを書いている人は、少なくともぼくよりも進んでいます。純粋に、かっこいいと思いました。と同時に、自分に投げかけもしました。

おい俺よ。今のままでいいのかい。何を分かった気になっているんだ。

せっかく無茶をできる環境にいるのに、守りに入ってどうするんでしょう。妥協なんてつまらない。そんなことを思いました。

もう一つ、心に引っかかった一節があったので紹介します。

「もったいない」「期待していたのに」「せっかくとった資格なのに?」「この世界しかやってこなかったのに?」「夢だったのに?」「叶えるのに、どれだけの時間とお金を費やしたの?」悪意のない、ただ心配してくれるだけの周囲の言葉が、退職を決意した私の耳に届いた。それもいつしか、心を縛った。

このエッセイを書かれた方は、30歳という年齢でそれまでの夢だった職業につきました。しかし、その後体や心のバランスが崩れてしまい、数年でやめる決意をしたそうなんです。

分かるなぁ。周りの愛のある正論に対して、揺らいでしまうんです。一度は納得して決断したはずなのに、周りの声を聴くことで「自分は間違っているんじゃないか」と自分で自分を信じられなくなってしまう。

何回も何回も思ってるはずなのに、毎度忘れてしまうんです。
「その道を正解にするのは自分自身。だから、納得感のある決断をする。あとはその決断を正解にするために歯を食いしばって努力する。」

これなんです。
誰の人生でもなく、俺の人生なんです。周りの人が判断するのではなく、自分が納得できるかが大事なんです。

今の自分はどうでしょうか。2年前の自分に、今の生活を胸張って自慢できるでしょうか。10年後の自分が「あの北海道での暮らしが、今の自分を作ってるよねぇ」と言えるような、そんな人生を生きているでしょうか。
なんというか、はっとさせられました。俺が納得する人生を生きてやるぞと、そんなことを思った本でした。

この本は、旅の本じゃない。生き方の本です。
20人の著者が自分の旅先や海外での経験を書く、エッセイ集という形を取っています。息をのむような絶景を見た。意味の分かんない外国人と会った。
でも、本当に伝えたいのは、その旅を通してどう生き方が変わったか。それが、「旅人になる」ということなんだと解釈しました。

自分の生き方に迷ってるとか、ちょっとくすぶっているとか、そういう人にこそ読んでもらいたいなぁと思える本です。



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