何もできない人間として生きるということ
だいぶ久々のnote。転機があったので、ちょっと文章を書いてみる。
うつ病になった。
元々うつっぽい症状は定期的に出ていて、次第に頻度が増していき
仕事でも迷惑をかけるようになっていったので産業医(会社に定期的に来てくれるお医者さん)に相談。
専門医への受診を勧められ、受診したところ、なんとまぁあっさりと「うつ病」の診断を受けた。まさか、という気持ち。
その後はとんとん拍子で話が進み、休職。
現在は、仕事を休みながら療養に努めている。
うつ病になってふと思ったことがある。
何もしない人間として生きることって、こんなにも不安なのかということだ。
社内チャットを見れる状態にはあるので、同期の活躍に焦る。
自分がいないことの穴埋めを同僚がやっているのに心が痛む。
友達も全員働いている。
仕事をしているということは、何かしら価値を生み出しているということだ。
給料日に、給料が振り込まれない。すると、なんだか「君は何も価値を生み出していないよ」とはっきり言われた気がして焦る。
何もできない。これがここまで苦痛だとは思わなかった。
ぼくは今、何も生み出していない。
不安だ。怖さすらある。
お医者さんとの話をしていると、
うつ病とは不安との戦いだと思った。
自分が自分でいるだけでいいのだと思える。そうなれたら勝ちという勝負だ。いかに受け入れてやるか。ぼくは、今のぼくを受け入れられていない。
さて、やってやろう。
やってやろうという気概は正直無いのだけど、
形だけでもファイティングポーズを取らないと、本当に負けた気がする。
やってやろう。
そう言って、ぼくは薬を飲み、本を読み、生きる。