王は冠を下ろし、生活へ戻る〜ケンドリックラマー サマソニ大阪レポート〜
圧巻だった。
やっと涼しくなり始めた20時過ぎの夢洲に、ラフなケンドリックが降り立った。
昨年まで、ヴィトンの衣装提供があったり、カルティエと冠を製作したりと、何かとデコラティブな印象があったケンドリック。しかし今回彼は自身の会社のキャップ、西海岸のヒップホップヒーローがプリントされたバンダナ、ピンクのセットアップ、白いスニーカーと、家からふらっと出てきたような出立ち。アクセサリーは一つもなく、時計はApple Watchだった。
まもなくN95が始まり、妙に納得してしまう。
(N95は、その名の通りマスクのことで、コロナによって混乱した世界を歌っている)なぜならケンドリックは詩の中で"宝石を外せ、ラグジュアリーブランドを外せ"と畳み掛けているからだ。
ステージにバンドの類はなく(どうやらステージ右に生バンドがいたらしいが、演出上隠されていた)背景には黒人アーティスト・ヘンリーテイラーの温かみのあるイラストが表示されているのみ。だだっ広いステージの中を縦横無尽に駆け回り、声色もラップスピードも変幻自在なパフォーマンスを繰り広げるケンドリックには、ステージ上になにもないという事はまるで関係なかった。楽曲中に限っては。
今回のステージでは、曲と曲の間に大きな間があり、精神統一のような時間となっていた。MCもないので、普通のアーティストがやるとものすごく間抜けな時間となってしまうが、ケンドリックを一目見ようと集まったファンたちが思い思いに"ケンドリック!"と声をかけこだましていく。会場が一つにまとまっていくのと反対に、先ほどまで全く気にならなかったステージの空白が身に迫り、ケンドリックはラップの王である以前にひとりぼっちの人間であるということを非常に生々しく感じてしまった。
その後、king kunta、m.A.A.d cityなど名曲が続く中、バックダンサーが入ってくる。お揃いの紺のバンダナをつけ、デニムのエプロンをし、黒のコルテッツを履いているケンドリックにそっくりな黒人男性たち。ケンドリックとまったく同じサングラス、普段の彼のヘアメイクに近い事から、ケンドリックの分身と考えて良いのかもしれない。
彼らは一つになったりバラバラになったりしながら、コンテンポラリーな動きをケンドリックの周りで繰り広げていく。ステージの余白をうまく使い、ラップをするケンドリックとの対比・配置の構成美がとても美しかった。
ステージも終盤に差し掛かったところ、ダンサーたちは各々普段の服装になり、スケボーをしたり労働をしたり、新聞を読んだり、"ふつうの青年の過ごし方"をし始める。とてもリラックスしていて楽しそう。まるで、お休みの日のケンドリックを見ているようだ。
そう、新しいアルバムで繰り返し伝えていたように、彼は"西海岸の現実を伝えるヒップホップの王"を過剰に背負うことをやめたのだ。自己をさまざまな角度から見つめ直し、いびつな黒人家庭文化で傷ついた魂を癒し、自分の道を歩んで行くということを、さまざまな手法を通じてステージで表明しているのだと思う。素の自分に近いファッションで、俺はもう王様でも神様でもないし、君たちに道を示すような事はできないけれど、素直な気持ちは吐露していくから、君たちも誰かを神格化しすぎて思考停止する事なく、自分の道を進んでくれと、語りかけられているような気持ちになった。
"we gon' be alright(俺たちは大丈夫)"
私が見ていた前方エリアには非常に若い男性ファンが多かったが、彼らが難解なケンドリックの詩を完璧に覚え、しっかりと歌っていることに心打たれてしまった。きっとケンドリックも喜んでくれてることと思う。これからを担う未来ある若者たちと共に"俺たちは大丈夫"と声をあげて歌えた事はとても嬉しく、良い夏の思い出になった。
うっかり日焼け止めを塗りそびれてしまった背中の日焼けがえげつなく痛いけど、それもまぁ夏の勲章という事で!素晴らしいステージをありがとうございました!
きん
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