『世界の夜は僕のもの』
卒論を書かなければ、と思いつつも、たまには音楽の話をしよう。
そう思ったきっかけの本はこちらです。
『奥田民生になりたいボーイ...』の作者である渋谷直角さんの最新作『世界の夜は僕のもの』。あゆみBOOKSでたまたま手に取った。
ちなみに『奥田民生に…』は読んだことない。映画も観てない。
そんな自分がなぜこの漫画を手にしたかと言うと、少し前に「渋谷系」について書かれた本を読んだからだ。こちらです。
ナタリーの連載をまとめた『渋谷系狂騒曲』。青山ブックセンターで購入した。結構高かったが、全てのキーワードに脚注が入っていて勉強になる部分も多い。あとGLIMのレミちゃんがプレイリスト載せてたり、楽しい。
この本を手に取った理由は、音楽について話したり、話してもらったりする上で、自分はあまりにも音楽の歴史やアーティストの歴史に無知過ぎると思ったからだ。
「渋谷系」とは切っても切れないアーティストが炎上した2021年、私自身はそれまで彼の名前しか知らなかったから、当該の記事を見て「酷すぎる」と思ってしまった。だけど、本人の歴史や音楽の歴史も知らずに意見するのは間違っていると思った。
最終的には本人が出した声明文にも目を通したし、それを踏まえて、そこに絡んでいる諸々のことを含めて「酷い」と言うのは事実だった気もするが、いずれにせよ、これについて「酷い」というたった一言を意見するためには、自分はもっとこれまでのことを知る必要があった。
で、話を戻す。それについて話したいわけではない。
最初に説明すると、私は別に「渋谷系」の音楽が好きと言うわけではない。あと、「渋谷系」の扱い方は非常に難しく、人によって解釈が異なる(と言うことが『渋谷系狂騒曲』には書かれている)ので、これについて色々言うのはやめてほしい。
繰り返すが、私は別に「渋谷系」の音楽が好きと言うわけではない。(嫌いでもない)
しかし、「渋谷系」を取り巻くカルチャーや時代に大きな憧れがある。
自分の好きなものを好きと言える場所がたくさんあって、そこに行けば同じものを好きな人がたくさんいて、てか、それ以外何もいらなくて、それだけで生きていくのがかっこいい。みたいな。
これが98年生まれの私なりの解釈である。何度も言いますが、これについて色々言うのはやめていただきたい…これからもっと勉強するので許して下さい…
とにかく、あの時代の音楽に救われた人はたくさんいて、仮に何かが起こっていたとしても、それを凌駕する力があったのかもしれない。
サブスクリプションで音楽を聴く時代、SNSで他人と繋がれる時代、映像配信で倍速再生の映画を見る時代(私はしませんが)、そんな時代を生きている私からすると、90年代後半の若者たちにあった「不自由さ」と「自由さ」、「不健全さ」と「健全さ」を羨ましく思う自分がいる。
きっと現代の方が好きな音楽を好きと言いやすいはずなのに、全然言いやすいとは思わないし、息苦しく感じている。私は今までもこれからも大好きなバンドのライブに一人で行き続けるのかもしれない。まあ、それはそれで良いのだけど。
でもそんな息苦しさを感じる現代にも面白いこともあるもので、最近は、全く知らない人が作成したプレイリストを聴きながら卒論を書いている。
近くのジョナサンで「卒論が本当にやばいなあ」と思いながら、Apple Musicで「卒論」と検索した時にたまたま見つけたプレイリスト。
言うまでもなく、卒論を書くためのプレイリストではなく、本当に全く知らない人の作業用プレイリストなのだが。毎日お世話になってます。
もしかすると、もしかしなくても、同じようなことはあったかもしれないけど、でも音楽サブスクリプションで他人のプレイリストを聴きながら卒論を書くなんて、これはきっと渋谷系の時代にはなかった喜びでしょ??
てなわけで、卒論頑張ります…