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おじいちゃんと孫【フリウリ風フリコ】

フリウリ風フリコ がうまいらしい。

サイゼリヤの話題で、友人からそんな話を聞いた。聞いたこともない、聞いたところで、どんな料理かまったくもって想像がつかない。何語だ?地名か?そんな謎に包まれ、開店時間すぐのサイゼリヤへ向かった。

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この、見かけがドリアっぽいのが、フリウリ風フリコ(ちなみにフリウリは地方名らしい。メニューに書いてあった。)

ついでに、ピザとシナモンフォカッチャも頼んだ。野菜はない。

さてさて、お待ちかねのフリウリ風フリコ。

フォークなのかスプーンなのか、何で食べるのが正解か分からずに、とりあえずフォークでいただくと。

ああ!なめらかなじゃがいも!しっかり焼き目のついた香ばしいチーズの下は、マッシュポテトだった。しっかりマッシュされてる、柔らかいポテト。美味しい。もし、子供の頃にこれを食べていたら、わたしは、5日連続でサイゼリヤに行きたいとおじいちゃんに言ってただろう。クリーミーなじゃがいもとチーズの塩気があう。大盛で食べたい。

子供の頃は、喘息でよく学校を休んでいた。食も細くて、ぜんぜん食べないんだけど、やたらと外食にいきたがる、金のかかる子供であった。ある日の病院の帰り道、おじいちゃんに「ケーキが食べたい」とわがままを言って、ファミレスに連れて行ってもらった。そこで頼んだケーキを1口だけ食べて、あとは全部残した。メニューの写真をみてチョコレートケーキと思って頼んだら、実は珈琲ケーキで、その苦さに食べられなかったのだけれど、いつものように食の細さが原因で食べきれないと思ったおじいちゃんは、「やっぱりか」と困ったような哀しい表情をした。

ファミレス、回るお寿司、ラーメン屋、ハンバーガーショップ、駄菓子屋さん、、、思い返せば、おじいちゃんはよく食べ物の店に連れて行ってくれた。何とか少しでも食べてくれればと思っていたのだろう。「あれが食べたい!」という私のわがままに付き合っては、1口でごちそうさまでしたという孫、何と残酷なことか。それでも、空いているラーメン屋を探し回り、慣れないカタカナばかりのハンバーガーショップで注文し、孫が残したミルクセーキを飲んで代わりにお腹を壊したりと。散々に振り回されながらも、めげずに私の成長を願って食べさせてくれていた、本当に愛情を注いでもらった。

今では、すっかり喘息も治って、食べ過ぎるくらい食べる大人になってしまった。ああ、お空のおじいちゃんも、さぞやびっくりだろう。

きっと私が食べることが大好きなのは、子供の頃に「どうせ食べきれないから」と言って、食への好奇心を奪うことをしなかった、おじいちゃんのおかげだと思っている。「あれが食べたい」という欲求に対して、結果が「必ず残す」と分かっていても、いつも「食べさせる」選択をしてくれたから。

「できない」と分かっているのに、それを許可することは、難しい。誰かに対しても、自分に対しても。「できないよ」と口に出して、奪いたくなってしまうから、任せてそれを見守る優しさは、私にはまだ足りてなくて、おじいちゃんみたいな優しさにほど遠いところにいる。そんなことを考えながら、空っぽになったお皿をながめた。いつかあなたのように優しくなれるのかなあ。

おなかいっぱい。ごちそうさまでした。



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