プロ雀士スーパースター列伝 近藤誠一 編(前編)
【追っかけ】
「せいいち、戦え!」
野太い声が、そばにいた近藤誠一に語りかける。
このフレーズはまるで決め台詞のように、毎日の会話の最後に発せられた。声の主がこれを言い、近藤が「はい!」と答えると「彼」はその存在感を消した。
自分の部屋で「声」と会話するようになってから、近藤はリーグ戦で勝ちまくった。それまでのようなスマートな勝ち方ではなく、武骨で強引で、無理矢理な戦い方であった。
まるで自分ではない誰かが打っているような不思議な感覚だった。もう一人の冷静な自分が俯瞰して見ていると「オイオイ、そんな牌行って大丈夫なの?」と心配になるような踏み込みっぷりであった。
もちろん、声の主が近藤の左手に宿って、勝手に打ったのだというオカルト的な話をしたいのではない。きっとこれは声の主が近藤の感性を呼び覚ましたのだ。近藤が今まで脳内に培ってきた「麻雀情報」を再構築し「安定した成績を求める無難な戦略」を捨て「わずかな勝機を見出し、こじあけ、強引に勝利をもぎ取るための打法」に切り替えた結果なのである。
声の主は、近藤にそのための「勇気」をくれたのだった。
2012年のことだった。
この年、近藤は2人の友を亡くした。
4月26日、同期入会の上野龍一が亡くなった。年は近藤より6歳上だったが、事務局で運営の仕事を一緒にやった仲だった。Aリーグに昇級したのもほぼ同時期で、打ち手としても好敵手だった。
同志を亡くした悲しみが癒える前に、追い打ちをかけるようにもう一人の友が逝ってしまった。
5月18日、飯田正人が63歳でこの世を去ったのである。
飯田のことを友と呼ぶのは語弊があるかもしれないが、2人の関係を表す、それよりも良い言葉が見つからない。
近藤は入会以来、ずっと飯田を目標としていたし、師と仰いでいた。実際に弟子入りを志願したこともあったが、飯田は頑として受け付けなかった。
「俺は弟子を取らないんだよ、ごめんな、せいいち」
近藤は諦めきれず「じゃあ俺は飯田正人の追っかけになってやる」と考え、飯田が現れる高田馬場の雀荘に日参した。
近藤はしつこいぐらいに通い、飯田の麻雀を見て、時には対戦した。
その内、飯田から毎朝電話が来るようになった。
「せいいち、今日はどうすんの? 来るの? 来るんだろ?」
これはまるで師弟関係なのだが、飯田はあくまでも近藤を弟子とは見なさなかった。
近藤は近藤で、しつこく飯田を師匠と見なしていたが、表面上は「追っかけ」としていた。
しかし、その楽しい追っかけ生活は長く続かなかった。飯田は病魔に冒され、高田馬場には来られなくなり、リーグ戦も「モンド名人戦」も欠場せざるを得なくなった。
【弟子入り】
飯田の葬儀が終わってからずっと、近藤は泣いて暮らした。一週間、東京都中野区の六畳一間で泣いた。
麻雀の目標がなくなったから泣いたのではなかった。ただ、1人の友を失った涙だった。毎朝かかってきた電話がなくなるのが寂しかった。
「あんまり泣くなよ、せいいち。そんなんじゃ俺が成仏できないだろ」
そういって、あの野太い声が笑っていた。
そんなこと言ったって、俺、寂しいです。もっと飯田さんから麻雀を教わりたかったし、最高位決定戦で戦って、倒して、最高位になりたかったし。
ビールを飲みながら泣いている近藤は、声に出して、そう喋った。
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