二階堂瑠美はなぜ強いのか(文・黒木真生)
【幼い瑠美の夢と現実】
二階堂瑠美は、幼い頃はずっと貸本屋で古本を読んでいた。貸本屋とは、たぶん今は存在していない業態の店だが、いわば私設の図書館みたいなものだ。
瑠美はそこで店主から何も言われず、ずっとタダで本を読みふけって過ごした。
あとで分かったことだが、お父さんが近所のお店に後から支払っていたそうだ。駄菓子屋も定食屋も、すべて姉妹は顔パスで後から請求されていたらしい。
本は好きだったが作家になろうとは思わず、同じような貸本屋をやりたいと幼心に思った。
家に帰ったらお母さんがいなかった。
お父さんが「これからは家族3人でやっていく」と宣言した。
1つ年下の妹の亜樹と2人きりになってから、
「しょうがないよね。パパもママも男と女だから、いろいろあるよ」
そう言って、自分たちを納得させた。
瑠美はまだ小学生だったが、これからは自分がお母さんの代わりをしなければならない、亜樹のことは私が守らなければならない。すぐにそう覚悟した。この覚悟は30年以上経った今も変わらない。
高校生になってすぐ、お父さんもどこかへ行ってしまった。
勉強は好きだったが高校は辞めて働くことにした。
15歳でも雇ってくれるとんかつ屋があった。真面目に働いた。
本当は大学にも行きたかったが、自分の境遇を呪ったり、普通に学校に行ける友達をうらやむという気持ちはあまりなかった。
ただ、やるべきことをやる。
そう思って生活していた。
突然、亜樹が麻雀のプロになって驚いた。
わけのわからなさすぎる世界で、心配になった。
成り行きで瑠美も麻雀を覚え、亜樹の師匠格である故・安藤満プロから褒められた。
瑠美も1年遅れでプロになった。
亜樹と同じ世界に入って、亜樹を見守りたいという理由だけではなかった。
麻雀をとことんやってみたくなったのである。
【最終形が見える?】
瑠美はMリーグのデビュー戦で、ネット上でボコボコに叩かれ批判された。
中には「へたくそ」という言葉もあって驚いた。
瑠美は私たちの中では「うまい」ことで定評のある打ち手だったからである。それが「へたくそ」と言われるなんて、面白いことを言う人が増えたものだとビックリした。
その後「プロクイーン決定戦」の2日目で大勝し、3日目に東城りおの猛追を受けるもなんとか逃げ切って2度目の優勝を果たした。
そしてその翌日、Mリーグで初のトップを取った。大きなトップだった。
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