マナー過激派を救うのは片山まさゆきさんのGPC精神
【マナー過激派誕生の仕組み】
ヨーロッパの方で食事をする時にカチャカチャ音を立てると嫌な顔をされる。
マナー違反だからである。
でも、どうしてナイフやフォークの音をたてただけで怒られなければならないのか。
諸説あるが、皿がいたむからというのが理由のようだ。今の食器と違って昔は割れやすかったのだ。
じゃあ、別に今は多少の音が出たっていいではないか。実際、日本人がファミレスで食事をする時は、ナイフやフォークの音がカチャカチャ聞こえてくるが、特にイライラする人はいないし、皿も割れない。
室内で帽子をかぶる行為も、西洋ではマナー違反とされてきたが、その理由は知っているだろうか?
これまた諸説あるが、要するに帽子は汚いものだったからである。
昔の話であるが、ヨーロッパの都市部を歩いていると上から汚物が降ってきた。つばの広い帽子やコートは汚物除けにもなっていたのである。
で、汚物まみれの帽子を被ったまま、自分の家に入ってこられたらどう思うだろう。100%嫌である。臭いし汚い。完全なるマナー違反だ。だからこそ玄関のところに衣文かけを設置して、そこに帽子とコートをかけてから部屋に入ってこいというしきたりが生まれたわけだ。
でも、今の日本でもパリでも、滅多に上空から汚物は降ってこない。だから別に室内で帽子を被っていたとしても問題はないはずだ。
ただ、それが「マナー違反である」というだけの理由で嫌な顔をする人は存在する。
マナーにはそれが「マナーだから守れ」というための根拠がある。でも、その根拠がなくなっても「マナーだけ」が残っているケースがかなりある。
それは人間の一部には「ルールを他人に守らせるのが大好きな人」がいるからだ。
理由なんかどうでもいいのである。ただ「決めごと」があるんだからみんなで守らなければならない。その観念が強い人が一定数いるのだ。
そしてそれは、どんどんエスカレートしていく。
室内でかぶってはいけない帽子はつばの広いものだったのが、汚物が降ってこない時代の、まったくそのマナーと関係ない極東の島国で「野球帽もだめ」となり、ついにはその国の麻雀荘という遊び場で「ニット帽もダメ」というマナーというかルールができた。
雀荘で帽子がダメというのは、まあ違う意味があるのかもしれない。
イカサマ防止なのか、単に西洋のマナーを模倣したのかわからないが、ニット帽は別に良いんじゃないかなーと私は思う。
以前、ある雀荘にニット帽を被った方が入ってきて、店員に脱ぐように言われて渋々脱ぐと、毛髪が少ない方だった。その人はとても恥ずかしそうにしていて、脱げと言った店員もバツが悪そうだった。
そうなるのは目に見えているのだから、そんなマナー、やめればいいのに。私はそう思った。
誰が考えてもなくなった方が良い「しきたり」が残るのはなぜか。
まず、世の中のほとんどの人が「どうでもいい」と思っている。そういう人たち、たとえばアルバイトのメンバーは「改善しよう」と発言しようものなら、非常に面倒くさいことに巻き込まれる。
店長やその上にいる運営会社の人とやりあわなければ「店のしきたり」は変えられない。そして万が一それが改善されてお店が良い方向に行ったとしても、アルバイトメンバーは一銭も儲からないのである。
だったら「言われた通り仕事をしとけばいいや」となる。
現場では時代に合わない不適切なマナー運用がされているが、上にはその状況が届かない。そもそも、そんなしきたりが残っていることすら知らず、それが理由で離れていく客がいることも知らぬまま経営を続けることになるのだ。
一方、そこで育った客たちは、その「しきたり」が常識だったり正義だと勘違いするようになる。
そしてテレビを見ている時に帽子を被って麻雀を打つ人を見て「マナー違反だ」とイライラし始めるのだ。
もちろん、何も感じない人の方が多いだろう。
だが、ネット配信のコメント欄に「マナー違反だ」と書き込むような人は、すでに「マナー過激派」という派閥に属している。自分で気づかない内に属してしまっているのだ。
マナー過激派は、自分と利害関係にない状況の人に対しても「マナーを守らせたい」と思ってしまう。そうさせないとイライラしてくる。なんであいつは守らないんだ。俺はこんなに守っているのに! そんな風に思うのである。
相手はモニターの向こう側にいて、自分とは無関係な人なのに怒る。
普通の、そんなにこだわりなく生きている人にとっては理解不能な心理状態なのだが、いったんマナー過激派になってしまうと、もうすべてが許せなくなってくる。
非常に危うい状態だと私は思う。
【GPC憲章】
GPCとはグッドプレイヤーズクラブの略で、10年以上前に、漫画家の片山まさゆき氏が立ち上げた麻雀サークルである。一種の運動体と言っても良い。
当時から片山さんは「ミスチョイス」というお店の経営に携わっており、リーチ麻雀店でのお客さんの「マナー過激化」を危惧していた。
マナーは守るべきだし、みんなでちゃんと守って、みんなが気持ちよく打てるのが理想。でも、そうするために、人が人を攻撃するというのは僕は嫌だし、本来の目的から逸脱してしまう。だからGPCでは、マナーは「自分にだけ厳しく」するべきだということを基本にやっていきたい。そしてその約束が守れる「大人なプレーヤー」たちの社交の場にしたいんだ。
片山さんはそんなことを言った。九段下のバビロンの事務所までわざわざ来てくださって、そう言った片山さんのことを、馬場裕一さんは「さすが片山くん、すばらしい! やろう、すぐやろう!」と言って、麻雀企画集団バビロンが片山さんに協力してGPCはスタートした。
その時、片山さんが決めたGPC憲章は以下の三条である。
第一条
グッドプレイヤーは相手を認める
第二条
グッドプレイヤーは自分にのみ厳しい
第三条
グッドプレイヤーは上機嫌である
本当に素晴らしい理念だと私は思う。
第一条から順番に、少しずつ難易度が上がる。
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