プロ麻雀界近代史 1999年モンド杯打ち切り
【第3回大会が最後だった】
私が旅打ちに行っている間に、東京では「モンド21杯(現モンド杯)」の打ち切りが決まっていた。
当時、唯一のプロ雀士による映像対局番組が「モンド21杯」だった。
「モンド21杯」は、CSの「モンド21(現MONDOTV)」の番組「麻雀デラックス」の中で行われていたテレビタイトル戦だ。私がプロ入りした1997年に放送が開始され、第1回、2回と安藤満プロが優勝した。
私は第3回大会の決勝戦の収録を見に行った。
スタジオは浜松町駅から羽田空港に行くモノレールに乗って1駅の「天王洲アイル」の「寺田倉庫」にあった。大きなコンテナを改造して作ったようなスタジオで「モンド」を運営する「JIC」のオフィスもその近くにあった。
同期のYさんが連れて行ってくれたのだが、サブルーム(スイッチングや音声の管理などを行う調整室)の雰囲気は重苦しかった。
制作会社の松本朋丈社長に「お邪魔します」とご挨拶をしたが、すごく険しい顔をしていた。
私は「あの人こわいね」と小声で言ったが「シッ! 聞こえるぞ」とYさんに叱られた。
「良いから黙って見てろ。いつか近い将来、俺たちがこれに出るんだ」とYさんは言った。
「え? 出られるの?」とマヌケなことを聞いた私に、Yさんは「出られるかどうかは俺たち次第だろ。でも、出ようと思わないなら麻雀プロなんてやってる意味がない」と言われた。
私は、そんなこと言ったって、俺たちみたいなペーペーが出られるわけがないと思って見ていた。
実はこの「第3回モンド杯」で「麻雀デラックス」は打ち切られることが決まっており、だから松本さんは険しい顔をしていたのだった。
私たちはそんなことになっているとは知らず、呑気に最後まで対局を楽しみ、打ち上げまで参加させてもらった。
【New Wave CUP】
実は「モンド杯」の立ち上げには「近代麻雀」が深くかかわっている。
番組を作るにあたって、プロ麻雀業界と何のコネクションもなかった松本さんが「近代麻雀」編集部に電話をしたのだった。
電話に出たのはNさんで、現在は別の出版社で働いている。
「人気のあるプロ雀士を紹介してください」と松本さんがNさんに頼んだ。
Nさんは、安藤満、飯田正人、伊藤優孝、金子正輝、小島武夫、新津潔の6名を挙げた。
実況者として馬場裕一プロが選ばれたが、馬場さんは勝手に土井泰昭プロに行かせるよう手配した。
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