プロ雀士スーパースター列伝 佐々木寿人編
【歌舞伎町時代】
20年ぐらい前「近代麻雀ゴールド」編集長の鈴木誠氏から「面白い麻雀打ちいませんかね」という電話があった。麻雀プロじゃない巷の強いやつ、面白いやつ、いませんかと。
そんなんおるかなあと。誰かおらんかなと思って滝沢和典に電話したら「佐々木さんは面白いですよ。ムッチャクチャだなーと思うけど強いです。結果出してます」と言う。
そいつの特徴を聞くと、私も知っている人だった。
ああ、彼か。
歌舞伎町で一番流行っていた店だから、世界一儲かっていた雀荘だと言っても過言ではないだろう。その「U」という店で佐々木寿人は働いていた。
いや、厳密に言うと勤務してはいたのだが、ちゃんと働いてはおらず、ただひたすらマシーンのように麻雀を打っていた。
ドリンクのオーダーを受けてもあまり動かず他人にやらせていた。お店で決められた「いらっしゃいませ」「がんばってください」などの掛け声も面倒くさそうにボソボソっと言う程度で、まるで店の営業方針に協力しようという姿勢は見えなかった。
彼の勤務態度まで描写できるのは、私も「U」に通っていた時期があったからだ。
そして私は、彼が入ってきたら卓から逃げるようにしていた。
普通はフリーのお店では「ラス半」というものをかけるのがマナーである。「これで最後にしますよ」とお店に告げておかないと迷惑がかかるからだ。だが、私はなりふり構わず、メンバーの佐々木君が入ってきたら逃げた。携帯電話に着信があったふりをして「あ、すみません、これでやめれますか」と言ってそそくさと逃げる。
大丈夫だ。その店はあまりにも繁盛していて、常に待ち席に客がいたし、従業員も多目に働いていたから、私が突然抜けたところで、卓が割れたりはしなかった。
まだ打ち足りない時は、少しだけ外出して歌舞伎町をうろうろして、また店に戻ったりしていた。
とにかく、佐々木君と打つのが嫌だったのだ。
打牌が異常に早く、点棒をしまうのも支払うのも素早すぎてキツい。
こっちがアガったら、申告する前に点棒が目の前にさっと出てくる。
打牌はビュンビュンと素早くて、ついていくのがしんどい。
それでいて相手をせかすようなモーションや態度はとらないのだが、やはりいつの間にか佐々木ペースに飲み込まれてしまう。
やたらとアガるしリーチをするし、リーチができない時は鳴くから面倒くさい。
こちらがリーチで足止めしたり、鳴いて牽制しようとしてもまったく意味がない。止められないし、思いっきり暴牌をぶん投げてくる。
もちろん、たまにはそれがアタリになるのだが、彼はまったく意に介さず、すっと点棒を支払うのみなのだ。
放銃したら点棒以外のダメージを負ってくれないと、こちらはやりづらいのである。
私は3、4回は佐々木君と対戦したが「これはアカン」と思い、彼が入ってきたら逃げることに決めたのだった。
確かにあいつは強かったよなあ。でも、プロ向きじゃないし、面白い巷の打ち手って感じだから良いかもしれん。
私はすぐ鈴木さんに連絡して佐々木君のことを言うと「面白そうだからすぐ会いたい」と言った。
滝沢に連絡を取ってもらい、歌舞伎町の「うな鐡」で4人で会った。
佐々木は大学ノートを2冊持ってきた。そこに彼の麻雀に対する考え方が書いてあった。
なんでも、弱すぎる従業員がいて、そいつに「これを読んで少しはうまくなれ」という意味で書いていたらしい。表紙には「○○(その従業員。実は上司だった)のために書いてやったから5万円よこせ」と書いてあった。
鈴木さんは「これでもう漫画になりますよね。佐々木さんをモデルにして、このヒサトノートの戦術をそのまま書けばいいんですよ。黒木さん、原作できますよね」と言った。
私はあまり原作というか創作が得意ではなかったのだが、ノンフィクションに近い話だったので、何とかやらせてもらうことにした。
漫画は結構な人気連載になって、単行本も出た。
鈴木さんは私に気を遣って単行本のクレジットに原作・黒木真生と入れてくれた。
自分の名前が初めてクレジットされた漫画本が、その「真剣」という作品だった。
【プロとしては通用しないと思った】
麻雀企画集団バビロンとしては、佐々木寿人を新しいタイプの麻雀タレントとして売り出していきたかった。
だが、いかんせん活躍の場が限られている。「近代麻雀」3誌とCSの麻雀番組「モンド杯」しかなかった。
「モンド」の人たちにプレゼンしても「プロじゃないしなあ」というリアクションだった。萩原聖人さんだってプロじゃないけど出てるじゃないですか、と言ったが「萩原さんは別格」と返された。それはそうである。
寿人はある時、プロ入りについて私に相談してくれた。仲の良いプロ雀士に誘われている。自分としては興味があるし、誘ってくれている滝沢や前原雄大さんと一緒にやってみたい気持ちもある。
そういう話だったが、私と馬場裕一さんは、寿人は従来の麻雀プロと違うやり方でやっていけると思っていた。
プロ団体に入って規則などに縛られるよりも、自由になんでもできる状態の方が良いと考えていたのだ。
だが、思っていただけで、なかなか寿人に「場」を与えることはできなかった。
何もないまま1年ぐらい経ったところで、今度は寿人から「プロ連盟に入ります」という報告を受けた。相談ではなく報告だった。
その時は森山茂和プロから誘われたという。
竹書房の人やバビロンの人がプロにならない方が面白いことができると言っているのは分かる。けど、君はずっと一人でやっていける自信はあるの? 竹書房もバビロンも、自分とこの会社の都合が第一だから、用がなくなったらお付き合いは終わりだよ。それよりもプロ連盟の仲間とやっていった方が良いんじゃないか。
そういう話をされたそうだ。
そうか、何もできず無駄に1年ぐらい伸ばしてしまって悪かったな。
私が言うと、寿人は「いえ、こちらこそ、いろいろ考えていただいたのに」と言った。
まあでも、私と同じプロ連盟に入ったわけだから、これからも付き合いは続くのだが、正直、私は寿人はプロ連盟では通用しないと思っていた。そしてそれを本人にも言っていた。
お前ぐらいの奴は、ゴロゴロいるぞと。そんな真っすぐばかりの一本調子で、何でもリーチを掛けていて成功できるほど甘くはないぞと。
寿人がプロ入りしたので、私は「モンド」の人たちに推薦した。今度はすぐに受け入れてくれて「面白そうだから出そう」ということになった。
寿人はいきなり4ラスを引いた。予選7回戦の最初の4回が全部ラスだったのである。
何回リーチを掛けてもアガれない。全部対応されて空振りになる。
それでもリーチ。
3連続でラスになり、いい加減「そろそろ1回ぐらいヤミテンをはさむんじゃないですか」と解説の梶本琢程さんが言ったが、それでもリーチを掛けた。
そしてやはりアガれなかった。4回戦目もラスだった。
ほらやっぱり、プロの世界では通用しないんだよ、あんな棒攻めは。普通、不調な時はヤミテンを使うなどして、ちょっとは目先を変えないと無理なんだよ。
私はそんなことを言いながらも、少し残念だった。
だが、私は何ひとつ麻雀のことを分かっていなかった。私の目は節穴どころか、ただ鉛筆で書いた線と同じだった。
寿人はここから決勝戦に残ったのである。
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