流れの正体 理不尽な5ピンタンキ
【白川道さん】
今回は作家の白川道さんにお話を伺った時の再録なのだが、ご存知の通り白川さんは2015年4月16日に亡くなった。
その日、私は夏目坂スタジオで何かの生放送を担当していた。ネットのニュースを見つけたスタッフが大声をあげて教えてくれた。
白川さんは日本プロ麻雀連盟の若手プロたちからも愛されていた。会ったことがある人もない人も、憧れていた。
その放送対局に出ていた滝沢和典は、白川さんに一番可愛がってもらったプロ雀士だった。白川さんと、新潮社の中瀬ゆかりさんと、滝沢と私で韓国に旅行したこともあった。ずっとカジノにいたが、ずっと笑っていた。
この対局が終わったら滝沢に教えよう。そう思っていたら、中瀬さんから電話があった。中瀬さんは籍こそ入れていなかったが、事実上の奥様だった。
プライベートなことなので詳細は書かないが、当然、泣きながら電話してきた。
こういう時に何と言ってあげるのが良いかまったく分からないのだが、この時の私は正直に思ったことを口にした。
中瀬さんと一緒だったから、白川さんの後半の人生、面白かったんだと思います。楽しかったと思います。でも、寂しいですね。もう一緒に遊べないから、寂しいです。
私もすでに40歳をすぎていたが、好きな人と会えなくなる寂しさには勝てない。顔面がくちゃくちゃになって、涙があふれてきた。
中瀬さんは多くの人に訃報を伝えなければならず、忙しそうだったので、手短にして電話を切った。
あれから8年が経ったが、今も白川さんと遊んだ日々を覚えている。私が忘れられないのだから、中瀬さんはずっとずっと白川さんロスが続いているのだろう。
つい最近、コロナのことがマシになったからということで、滝沢と私を中瀬さんが食事に誘ってくださった。
久しぶりに3人で白川さんとの思い出を話した。
このnoteで「流れの正体」を再録することになって、白川さんに登場していただいた回の原稿にぶつかって、色々なことを思い出した。
ただ掲載年のクレジットを入れるだけでもよかったのだが、何か、思い出したこと、思いついたことを書いてしまった。
それぐらい、私にとって、白川さんと遊んだ日々が楽しかったのである。
【高田馬場正月決戦】
15年ぐらい前の正月。私は高田馬場の雀荘を貸り切って額に脂汗を浮かべながら麻雀を打っていた。相手は滝沢和典プロと、新潮社の名物編集者の中瀬ゆかりさん、そして作家の白川道さんだった。
年齢はそれぞれ違ったが、私たちの関係は「お友達」に近かった。しかし、やっている麻雀は私にとって必死にならざるをえないものだった。
滝沢は今でこそ私のはるか上に位置する打ち手であるが、当時は二十歳そこそこ。私よりは多少うまかったかもしれないが、まだまだヒヨっ子であった。
中瀬さんも独特の強さはあったが、本業でしっかり稼いで麻雀は(当たり前だが)遊びというスタンスだったので、やはり最大の敵は白川さんだった。
ニコ生で麻雀最強戦をご覧になったことがある人ならお分かりだと思うが、あの人は化け物のように麻雀が強い。そして当時は今よりも若かっただけに、もっと強かった。
私たちとの麻雀は白川さんにとってはあくまでも遊びで、本場所は荒正義プロ、故・安藤満プロらとの勝負だった。そして彼ら超一流のプロたちと戦って、白川さんはずっと引けを取らなかったのである。
その白川さんが、珍しく絶不調だった。前半の6時間ぐらいは私が好調で勝ち頭。逆に白川さんはベコベコにヘコんでいたのである。私は積年の恨みを晴らすべく、必死で打ち続けた。
「お前そうやって調子に乗ってリーチばっかかけてるけど、そのうち痛いメに遭うからナ」
いやどうせダマテンにしてたって痛い目に遭う時は遭いますから。
「よし、ナマイキいってる奴にはお仕置きだ。ホラ、俺の貧乏神をお前にくっつけてやる!」
白川さんはそういって追っかけリーチをかけてきた。
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