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私の黒子論

【黒子システム】

 Twitterじゃなくて「X」で「黒子」が話題になっている。
 その火元になったツイート(この呼び方も今後変わるのだろう)をどうこう言うつもりはなくて、私なりの「黒子論」を書いてみたい。
 麻雀界における「黒子」は本来の意味とはちょっと違って「人数合わせ」のことを指す。
 タイトル戦の予選などを行う際、エントリーの時点では4で割り切れる数字だったとしても、必ずと言って良いほど誰かが来ない。
 麻雀は4人いないとできないから、その分、誰かを補充しなければならない。
 こういうことが頻繁に起こるので、どんなに小規模な麻雀大会でも運営スタッフは最低4名が必要になる。最悪、1人が余って黒子が3人必要になるケースがあるからだ。運営スタッフ全員が卓に入るのはよろしくないので、最低でも4人は用意する。
 こういうやり方で何十年も麻雀大会が運営されてきたが、そろそろ違う方法をとるべき時代に入っていると私は思う。
 黒子システムを採用することで、いくつもの問題が発生するからだ。

①無駄な人件費がかかる
②対戦相手がやりづらい
③あらぬ疑いがかけられる

 大まかに言うとこの3つなのだが、①はまあお金で済むのだから大した問題ではない。
 ただ、ちゃんと選手が揃った場合、完全に無駄な3人が会場にいることになる。大規模な大会なら手伝うことも多いが、小規模な大会なら運営者は2人で十分なこともある。
 費用がかかれば参加費も高くなるので、やはり黒子システムは使わないにこしたことはない。
 ②は、どう転んでも対戦相手は嫌なものである。
 黒子に入る人には「あまり波風立たないように静かに場を回そうとするタイプ」と「自分が大会に参加しているつもりでガチで全力で打つタイプ」の2種類が存在する。
 これを事前に「私は全力です」とか「私は事なかれ主義です」とか宣言してくれるわけではないので、非常にやりづらい。
 最近は「黒子も全力で打ちます」と運営が宣言することが多いが、それはそれで「ノープレッシャーでガンガン来られてもなあ」という別の問題が発生する。
 試合に参加している選手は、それが一番底辺の予選だとしても、大切な勝負である。だから「負けたくない」という気持ちがプレッシャーになったりするのだが「黒子として普通に全力で」というのは、ある意味で「練習」みたいなもので気楽だ。気楽だからこそちゃんと判断して打てるので、その人の「最強の状態」に近いから、けっこう強いのである。
 まあ、目に見えない「プレッシャー」を議論しても結論は出ないだろうが、私はそう思うし、予選に出る選手の感覚として理解はしてもらえるだろう。
 で、結論が出ないのだから仕方ないということで、現在は黒子システムが使われており「黒子は全力でちゃんとガチで打つ」という方針で運用されていることが多い。
 ただ、そうやっていても③「あらぬ疑いがかけられる」という状況になることがある。
 やっぱり、全力で打つとは言っても「AとB、どちらも半々であるよなー」という局面は必ず訪れる。
 親がダブ東をポンした際に、鳴かれなさそうなターツを落として守備的に打つか、鳴かれても良いからテンパイしそうな、山に残っていそうな受け入れを残して攻撃的に打つか。こういう時に、試合として臨んでいる選手が出す結論と、黒子が出す結論は変わってくる可能性がある。

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