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プロ雀士スーパースター列伝 馬場裕一 バビロン創世記編

【麻雀界に建てたバベルの塔】

 人類が滅亡するという「ノストラダムスの大予言」という物騒な本が発行されたのは、私が生まれ「近代麻雀」が創刊された1973年だった。ちなみにこの年は日本国史上最も多く子供が生まれた年で、オイルショックがあり、讀賣巨人軍が9年連続で日本一になった。
 ノストラダムスの予言書が「人類が滅亡する」と指定したのは26年後の1999年の7月だったが、その少し前に「バビロン」構想が立ち上がった。
 最高位戦にいたFという若手プロ雀士が、馬場裕一プロのケツをかいた。
 「馬場さん、このままじゃいかんぜよ。プロ麻雀界が腐る一方ぜよ」
 まるで幕末の志士である坂本龍馬が日本の行く末を憂いていたのと同じように、Fもプロ麻雀界のことを憂慮していた。
 実際はFは私と同じ神戸の出身だから「ぜよ」とは絶対に言わない。雰囲気でそういう感じにしたが、関西人だし、普段は標準語を喋っていた。
 Fは私と年齢が同じだが、私より数年早くプロ入りしていたし、私が毎日のように遊びに行っていた雀荘の店長だったので、当時の私よりもぜんぜん大人だった。
 馬場さんは「そうだなあ、そうだよなあ。よし分かった! やろうぜF君!」と、その時はノリノリで答えていた。酔っ払っていたからだ。
 「マスコミに対して訴えかけようとする意欲がなさすぎる」
 「麻雀業界に手を差し伸べてくれる業界に対しての礼節や感謝の気持ちが足りない」
 「今のプロ団体はサークル活動にすぎない」
 そのようなことをFは問題点としてあげていた。
 実際その通りで、馬場さんもそう思っていた。
 同時にFは「我々もサークル活動に留まらないために、ちゃんと会社組織にしましょう」と言っていて、本当に数か月後には有限会社を作り、馬場さんは代表取締役にされてしまい、逃げられなくなった。
 
酒席で若者が熱く語るのを聞いて「そうだ!」と同調はしたものの、そんなカタにハメられるようなことになるとは思っていなかった。
 が、Fは行動力があって、同じ最高位戦のOという女性プロに声をかけ、話を進めていった。
 彼女は優秀で、会社の登記も独学でやり、手続した。麻雀界に入る前からプロのライターとして活動しており、馬場さんは「俺にはOのような文章は書けない」と認めていたし、OはOで「馬場さんは天才」と尊敬していた。
 当時の有限会社は資本金を300万円以上用意しなければならなかった。
 馬場さん、F、Oと、もう一人Fが声をかけた日本プロ麻雀連盟のYという若手プロが50万円ずつ出資した。
 残る100万円はFが集めた。著名人やマスコミ関係者などから出資してもらった。
 会社名は、当時フリー雀荘で「番長」と呼ばれていたKという人物がつけた。
 馬場さんの愛称である「バビィ」と、麻雀のアガリの発声である「ロン」をくっつけて「バビロン」。登記されたのは1999年6月1日で、私はその名称を聞いた時に「ノストラダムスの大予言の1か月前に、有名な伝説のあるメソポタミアの古代都市の名前をつけるなんて、それこそ神の怒りを買うのではないか」と思ってしまった。

【華やかに見えたバビロンの仕事】

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