麻雀プロは食える世界か
【プロを名乗る気恥ずかしさ】
1999年に麻雀企画集団バビロンが結成された。当時最高位戦に所属していた馬場裕一プロが、同団体の若手プロにケツをかかれた形で作られたライター集団だ。
後に私も所属することになった。
バビロンと同名の雀荘が吉祥寺にできた。麻雀企画集団は有限会社化していたが、それとは全然別の会社経営者がやっている雀荘だった。
その雀荘バビロンが、私たち「バビロンズ」の面々をゲストプロとして呼んでくれた。
「近代麻雀」の誌面で記事を書き、対局企画などに登場してはいたが、集客できるほどの人気はなかった。ただ、雀荘バビロンのオーナーの好意で呼んでもらっていただけだった。
卓に入って麻雀を打っていると、対面の客が「麻雀のプロになって何かメリットあんの?」と聞いてきた。
初対面の人間に対して口の利き方を知らないそいつに私はムカついた。
いや、あったら良いけど、あんまないですね。
するとそいつはタバコのフィルターを噛みながら舌打ちし、苦々しげな表情で「そんならやめちまえよ」と言ってきた。
大きなお世話だし、実は私なりにメリットはあると思っていた。なかったらやっていないだろう。そんなことぐらい考えたらわかることだ。
どこの世界にメリットがないことを、頼まれたわけでもないのにやるバカがいるというのか。
だいたい、こういうおせっかいなことを言ってくる人間には考える能力が足りないと思った方が良い。
たぶん、世の中の人間の大多数が自分より知的に劣っていて考える能力がないとでも思っているのだろう。
そうでなければ「メリットあるの?」などと聞くわけがない。
誰も、なかったらやっていないからである。
もしくは「実はメリットがある」と知っていて言っているのかもしれない。
その場合はおそらく「うらやましい」のだ。
なにが麻雀のプロだ、しょうもない。
純粋に100%それしか思っていなければ、その店にこないし、プロがゲストに来た時点で帰ればいい。雀荘など東京にはいくらでもある。
だが、少なからず興味があるのだ。でも、自分はなりたくない。なりたいのだけど、なりたくない。小さくておんぼろの世界で「プロ」を名乗るなど恥ずかしい。それを臆面もなくやっているこいつら、なんか腹が立つ。
おそらくそんなところだろう。
しかし、これもまた、こういった人の想像力の足りないところである。
私たちも十分「恥ずかしい」という気持ちを抱えながらやっている。
それを「恥ずかしっす」と言いながら、照れながらやっていたらもっと恥ずかしいから我慢して平気な顔で麻雀を打っているのだ。
私はずっと対面にムカついていた。髪の毛つかんで床中をはいまわらせてやろうかと何度も思ったが、こらえていた。
同時に「もう恥ずかしいから麻雀のプロとか言うの嫌だなー」と思っていた。
そして、もっと恥ずかしいことに、私にとってのメリットは「やりがいがある」だけだった。
どうにかしてこの未開拓の地で、ちょっとだけおもろいことをやってやろう。そんな気持ちになれることだけが「私のメリット」だったのだ。
【日吉より年収が低い私】
ムカつく客と麻雀を打たされても、ギャラはわずかだった。それでも当時の麻雀界では仕事があるだけマシだった。
ライターの仕事も同じようなものだった。
バビロンの先輩ライターが取材のアポを取ってくれた時間が夜中の12時半だった。雀荘の閉店時間後だから仕方ないのだが、場所は錦糸町で私が住んでいるのは池袋だった。
あの、そうなると終電ないですよね。
そう言うと「だからなに?」と言われた。
「子供じゃないんだから自分で解決しなさい」と言われて、まあ、確かにそうだよなと思った。
原稿料は3,000円で、カプセルホテルが4,000円だったのでその仕事は1,000円の赤字だったが、駆け出しのライターなんてそんなものだと教わった。
もしこの金が惜しければ、自分でアポを取り直せば良いだけのことなのだ。
もしくは仕事そのものを断れば良い。
先輩ライターや馬場さんからは、この業界にはレールも敷かれていないし道路も舗装されていないということを教わった。
快適に車を走らせたければ自分で道を整備すれば良い。後から通る人からは通行料をもらってペイすれば良い。水を飲みたければ井戸を掘れ。そんな世界だった。
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