プロ麻雀界近代史 麻雀愛好クラブ設立
【極シリーズ裏話】
私が日本プロ麻雀連盟に入った1997年には、麻将連合以外にもうひとつ新団体が設立された。「麻雀愛好クラブ」という名称だったが、同年に入会した鈴木たろうは、当時から私たちの間で「プロ」と認識されていたから、やはりプロ団体だったのだろう。
プロ連盟では私と清水香織が、麻雀愛好クラブでは鈴木たろうが、最高位戦では鍛冶田良一が同じ1973年生まれでプロデビューも一緒の「同級生」たちだ。鍛冶田は現在日本プロ麻雀協会の副代表だが、最初に入会したのは最高位戦だった。
麻雀愛好クラブを作ったのはプロ連盟にいた高橋純子プロと浦田和子プロだった。女性プロ2名が離脱して新団体を旗揚げしたのだが、その団体とプロ連盟の間に交流が生まれることはなかった。
私は高橋さんとあまり話をしたことがないので一方的な情報になってしまうが、彼女はテレビゲーム関係の仕事をしていたようだ。
オールドファンなら知っていると思うが、麻雀ゲームソフトの「プロ麻雀・極」シリーズというのがあった。ファミコンとかプレイステーションとかのソフトで、1993年に第1作目が発売された後、10年近く続いた人気シリーズだ。当然、通信対戦などはできなかったが、ゲーム中に実在のプロ雀士が出演していた。2000年にリリースされた「極NEXT」には深く関わったし出演もさせていただいた。それ以外でも「麻雀企画集団バビロン」としてずっとお世話になってきたので、私にとっても思い入れの深いゲームだ。
この「極」を開発するにあたって、ゲーム会社の「アテナ」の社長である中村栄(さかえ)さんがプロ連盟に連絡をしたのが始まりだという。
電話を受けた人はゲームのことなど分からなかったので、詳しい人ということで高橋さんが担当になった。
今のプロ連盟なら、ちゃんと団体として仕事を請けるところだが、この当時は自由すぎた。高橋さんは自分の個人の仕事として請けた。アテナの意向を受けて、その上で自分ですべてを取り仕切った。だから、プロ連盟にきた仕事なのに、最高位戦のスター選手たちもたくさん出演していたのである。いや、むしろ最高位戦の人の方が多く出ていたかもしれない。
私がプロテストを受験する時に「連盟はマイナーで最高位戦がメジャー」だと思っていた理由の一つに「極シリーズ」の影響があった。私は大学時代、このゲームで遊んでいたのだった。
当時のプロ連盟は自由すぎたが、森山茂和プロだけはそうではなかった。
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