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次の牌をめくるのは麻雀への冒とくか?


【もうひとつのドラマ】

 対局が終了した後「もし、見逃さずにロンしていたら、裏ドラのっていて逆転優勝だったかも」とか「槓していたら槓ドラのっていたかな? 嶺上(リンシャン)はなんだったかな?」というのが気になることがある。
 一般の人が麻雀をやっている時であれば、気になったら気軽にめくるかもしれない。
 だが、プロの麻雀対局においては、そういうことを「神聖視」して「やらない」とか「やってはいけない」という考え方の人もいる。

 10月17日の「大和証券Mリーグ」第2戦オーラスが終了した後、萩原聖人プロ、勝又健志プロ、松本吉弘プロの3人で感想戦のようになった。
 松本は、萩原の心中を察して何も言わなかったが、萩原から「暗カンだったのに、うっかり切っちゃった。申し訳ない」という言葉が出た。
 伊達朱里紗プロが七萬を手から切って勝負してきた。直後、つかんだ五萬を見た萩原は「うわ、これ、めちゃくちゃアタりそう」と思い、覚悟を決めて河に捨て、着地寸前に気づいたという。
 「槓できる牌だよこれ!」
 時すでに遅し。これが伊達の千点に放銃となったのだが、もし、萩原が普通に暗槓していたら、長引いてどうなっていたか分からない。

 そんな話をしていれば、自ずと「if」の答えが気になってくる。萩原と目があった松本は空気を察して、目の前にある嶺上牌をめくった。
 そこには2ピンがあった。
 天を仰いで「オレ…ハネ満アガってました」という松本。


 ちゃんと暗槓していたら萩原はラスで松本は2着。だが、このうっかりがあったことで萩原は3着で伊達が2着。麻雀は本当に理不尽なゲームだ。
 ここまでは、カメラに映らなかったドラマなのだが、このことを解説者の土田浩翔プロが伝えたことで、一部の人が松本を批判しはじめた。中には、萩原がめくったと勘違いして、揶揄する者もいた。
 本当に競技麻雀の世界では、終わった後の「if」を見る行為はタブーなのだろうか。

【マンズ待ちにはできない】

 対局をご覧になれなかった人のために、少しおさらいする。
 オーラス。トップ目で親の勝又と大きく離れた3着目の萩原が画像の手でテンパイ。

 2着目の伊達とは5,300点差だから、1,000・2,000点のツモアガリでは300点足りないし、5,200点の出アガリでは100点届かない。
 待ちはマンズの方が良さそう。場にマンズが安いからそう考えるのだが、赤5ピンを切ってリーチして、2,600点を出アガリしても意味がない。裏ドラが1枚でも届かないのだから、ここは打四萬リーチしかないだろう。
 これならツモればOKで、出アガリでも裏ドラ1枚のれば逆転だ。
 ラス目の松本からの追い上げも怖いのだが、萩原は「見逃すつもりだった」と言っていた。
 「アガった方が5ポイントぐらい増えるので無難」なのは承知の上だが、萩原はそうしない。
 8種類しか牌がないので、裏ドラがのる確率は低い。雀頭以外に重なりのないピンフの牌姿の3分の2ぐらいの確率である。
 待ちは3メンチャンでツモアガリも十分のぞめる。
 だったら、見逃してツモにかける。それが萩原の麻雀だ。
 実際には、同巡、松本からリーチが入ったから見逃す必要はなくなった。千点の供託で5,200点でも良くなったからである。

 萩原の一発目のツモは、あろうことか六萬。一発ツモなら満貫になっていた。

 こんなことって、ある?

 時々あるのが麻雀なのだが、この重要な局面で、どうしてこうなるのか。
 そりゃマンズの方が良いに決まっている。が、点数が足りない。
 だからピンズ待ちでリーチにしたのに「正解」はマンズで。でもその正解に辿り着くには「非論理的な打ち方」をしなければならない。
 だから自分のとった選択は間違いではないのだ。でも「結果論で言うところの正解」でもない。
 そう思っていた矢先にツモったのが五萬で、萩原はそれを槓せず切ってしまった。
 冒頭の感想戦は、この結果を受けてのものである。
 「うそー、萩原さん、ちゃんと槓してよー」
 松本は正直、そう思っただろう。冗談のようにして笑うことはできない。自分は実際にはラスを引き、チームのみんなにマイナスを持って帰ってしまったのだ。
 それが相手のミスによるものでも、それが現実なのだ。
 3人とも、この理不尽なゲームの「プロ」だ。
 企業を背負ってギャラをもらって客に戦いを見せている以上、素晴らしい最高の試合を見せたい。そして、自分が勝ちたい。
 だが、時にままならぬこともある。

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