見出し画像

競技麻雀最終戦オーラスはどうあるべきか

【優勝以外のアガリが禁止になった経緯】

 オリンピックや野球観戦をしていて、自分の参考にしようという人はごく少数だろう。
 たとえばラグビーのリーチマイケルのタックルを見て「俺も明日ああいう風にやってみよう」と考える人は視聴者全体の1%にも満たないはずだ。
 だが、麻雀は違う。いまテレビで「最高峰の戦い」をやっているプロと明日一緒に打てるかもしれないし、半分ぐらいの確率でその人に勝つことができる。そういうゲームであり、そういう競技であり、そういうことを前提にして作られてきた業界だ。
 そもそもが、システムやルールの設定が巷の麻雀からのボトムアップであって、要するにギャンブルじゃない麻雀を50年以上前に「競技麻雀」と呼び始めたに過ぎない。
 巷の麻雀は巷の麻雀の「価値観」があり、それに合わせて作られたものだから、あまり問題は生じない。
 たとえばオーラスにラス確定のアガリをしても意味があるから、誰もとがめられないのである。
 しかし、プロのタイトル戦の決勝戦オーラスでそれをやったらどうなるか。
 賞金は優勝200万円であとはゼロだ。
 こういう設定をされていたら、優勝するアガリ以外は意味がない。真面目に優勝争いをしている選手たちは腹が立つし、それを長時間見守ってきた視聴者たちは「時間を返せ!」と怒るだろう。
 実は昔はタイトル戦の賞金額に差があった。
 たとえば優勝が100万円なら、2位は50万円、3位は20万円、4位は10万円という風になっていたから、最終戦オーラスに3位確定のアガリをする選手は普通に存在していたのである。
 だが、それは「観られる前提」ではなかった。せいぜい、観に来るのは数十人程度でほとんどが身内だ。一般の人もいたが顔見知りばかりで、業界の常識は知っているから「えっ、なんで優勝しないアガリしてんの?」という野暮も言わない。
 それがインターネット配信の発達によって、ちゃんとしたテレビ電波以外で生中継ができるようになってから、変わっていったのである。5時間も6時間も見てくれた視聴者が、1位と2位の選手のハラハラドキドキの対決を見守っているのに、全然関係ない3位の人が「ゴットー」と言って「ラス落ちを逃れた!」と喜ばれても共感はできないからだ。
 だから、そういうことにならないようにと考えて、賞金は優勝のみ大きくし、2位以下は同額としたのである。
 そして、そのレギュレーションで2位以下のアガリをするというのは「他人を巻き込んだ投了」となるので禁止となった。つまり、自分一人がギブアップするならまだしも「皆さん全員で諦めて帰るため、私が戦いを終わらせます」というのは「お前そりゃないだろう」となるのでダメなのである。

【北家有利すぎ問題】

 どんなタイトル戦も同じなのだが、最終戦のオーラスで親ができる人が圧倒的に有利だ。
 全員に優勝の可能性がある時を除き、北家が有利になる。
 「優勝以外のアガリをしてはならない」という条件がつくということは、まず「親だけは連荘があるので自由にアガれる」ことになる。その時点で1位の人も同じだ。アガれば優勝なのだから自由である。でも、あとの2人が倍満条件だったらどうか?
 倍満の手が来るまではアガれないから、普通は4人でやる麻雀が親と1位の人の2人麻雀になってしまう。
 さらに、流局間際になると、親を連荘させて次に望みをつなぐため、わざと鳴かせてくれたりもする。
 これはこれで競技麻雀チックなのだが、視聴者はしんどい。
 もちろん、オーラスの親に逆転の可能性があるなら面白いのだが「あと親満を7回ツモれば逆転ですね」みたいな「ほぼ不可能」な状態の冗漫な最終回を見せられたら「早く終わろうよ」となるだろう。
 そして、万が一大逆転を果たしたとしても、この不自然な状況を利用して勝っただけの人をほめたたえるべきなの? という疑問も生じてしまう。
 そこで考案されたのが、決勝最終戦は以下の座順でスタートするという方式だ。

起家:2位選手
南家スタート:3位選手
西家スタート:4位選手
北家スタート:1位選手

 こうしておけば最終戦も冗漫にならず「普通の麻雀」に近い形で終わってくれる。可能性が薄い選手たちも「南場の親が終わるまで」は可能性があるということで、普通にアガることができる。

滝沢和典

 考案したのは滝沢和典プロで、これによって最終戦のジレンマはほぼ解決となった。
 ように思えた。
 が、また新たな問題というか「ご意見」が寄せられるようになってきたのである。

【アガリやめのあるなし】

 問題を提起したのは漫画家のウヒョ助さんだ。

 巷の麻雀やインターネット麻雀がほとんどすべて「オーラスの親のアガリやめあり」なのに対し、競技麻雀のほぼすべてが「アガリやめなし」であることへの疑問のツイートだ。
 確かに、アガリやめをありにすれば冗漫な最終局を見なくても済む。
 なのだが、それではあまりにも北家が有利になってしまうから、競技麻雀では他の親と同じでアガったら強制的に連荘というルールになっている。
 そもそも、アガリやめは「1ゲームいくら」のお店で、早く半荘を終わらせてゲーム代を稼ぐために考案されたものである。
 ただでさえ有利なオーラスの親が、アガリやめありだともっと有利になってしまう。それを回避するために「逆転勝ちしたけど、もう1局だけ子方にチャンスを与える1局をご覧ください」という麻雀になっているのだ。
 そんな中「麻雀最強戦」だけはアガリやめ「あり」でやってきたのだが、いつしか選手たちが「北家引けたので勝てた」とインタビューで言うようになった。
 カネポンこと金本晃実行委員長は「せっかくの名勝負で面白かったのに、北家スタートだから勝ったと言われちゃうと興ざめする」という理由で私に改革案を考えましょうと言ってきた。
 カネポンの出した案は「オーラスは3本場まで」というもの。
 私はそれは中途半端だと思ったので「時間打ち切り90分ないし100分」にするか「オーラスアガリやめなし」にするか、この2つを提案した。
 目的は「冗漫な最後を見せたくないのと、北家有利すぎアピールされるのが嫌」だったので、私は「時間打ち切り」を推した。
 が「せっかくの勝負を時間打ち切りにしたくない」という理由で「アガリやめなし」という無難なルール変更にとどまった。
 サッカーやバスケも時間制限があるし、野球だって全体の時間は無制限に近いけど、1球ごとに20秒とかは決まっているから、麻雀だけ「すべて無制限」はむしろ不自然だと私は言ったのだが、意外とカネポンは保守的で、ドラスティックに変えることを怖がるのである。

ここから先は

3,038字 / 2画像
この記事のみ ¥ 300

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?