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プロ麻雀界近代史 バビロンに入って

【強引な勧誘】

「僕、旅打ちから帰ったばかりで、一度神戸に帰らなければならないし」

 私は、喫茶店「ルノアール」高田馬場店の地べたに置いた、旅打ちに持って行ったスポーツバッグを見ながらつぶやいた。
 馬場さんは「もちろん、神戸帰るのとかは自由にしてよ。でも、バビロンに入るかどうかは今決めよう。麻雀の打牌だって、3秒考えても3分考えても結論に大差はないし、どっちが良いか、誰にも分からないんだから」と、セブンスターをくわえながら言った。

 私はこれ以上なにを言ってもしょうがないと思った。同時に、馬場さんの言う通りかもしれないと思った。それまでは、大事なことを決めるのに、喫茶店で10分とか15分で決めるということはあり得なかった。でも、実は無駄な時間を過ごしていただけかもしれないと思うようになったのである。
 それに、実は自分の気持ちの中では、ほぼ「バビロン入り」を決めていたのだった。

 プロ連盟に入り、神戸と東京を往復しながら試合に出て半年ほどたった時、このままプロ雀士なんていう「金のかかる遊び」を続けるのか、それとも税理士になるための勉強に集中するか、考えたことがあった。
 本当は「簿記論」と「財務諸表論」の2科目を1年目に合格しようと思っていた。だが、雀荘「グッドラック」のアルバイトや麻雀プロとしての活動が忙しく、とてもではないが2科目同時合格は難しいと思うようになって、まずは簿記論に絞った。
 だが、そんなことをしていたら合格まで5年かかってしまう。
 否、記憶力に難のある私のことだから、簿記のようにその場の算数の瞬発力でさばけない「暗記がモノを言うテスト」はもっと苦戦するだろう。

 合否が出る前に決意した。もし、合格していたらプロ雀士の活動を続ける。でも、不合格ならキッパリとやめて、税理士の勉強に専念しよう。そう思った。
 普通は、合格していたら税理士の勉強を続けることを考えると思う。でも、私にはプロ麻雀界は「現実逃避の場」にしか見えなかった。
 もし、試験に落ちて麻雀プロ業界の方に行ったら、それは「逃げ」のようになってしまうのではないか。そんな風に考えていた。
 何だか分かったような分からないような、思春期の青臭い考えみたいだが、当時の私はそう思っていたのである。
 結局「簿記論」は合格し、私はしばらくプロ活動を続けることにした。
 
 その後「ビクトリー麻雀」が創刊され、旅打ちに行き、馬場さんから「バビロンに入れ」と言われた。
 この流れで言ったら「バビロンに入ります」なのだ。

 だから私は馬場さんの話が始まって15分後ぐらいに言った。
 
 では、バビロンでお世話になります。これからよろしくお願いいたします。

 馬場さんは、よし、分かった。じゃ。と言ってセブンスターの火を消して去っていった。

【2ちゃんねるに書かれた悪口】

 「バビロンズ」のメンバーになったことで、色々な媒体に出してもらうことができた。

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