最高位戦スタジオ設立で変わること
【対局は誰のものか】
最高位戦日本プロ麻雀協会が自前のスタジオを作ったことを発表した。
これによって大きく変わるのは、最高位戦が自分たちの「対局映像の権利」を持てるようになるということだ。
もちろん、これまでも権利がまったくなかったわけではない。だが、他社と共同作業して作り上げたものの権利というのは非常に複雑だ。
以前の座組では、スリアロチャンネルが権利のほとんどを握っていたと思われる。これはスリアロの姿勢がどうとかではなく、映像の世界の慣例でそうなっていたのである。
だから、たとえばスリアロがその対局番組を別のテレビ局に売ったり、DVD化して収益をあげても文句は言えない状況だった。実際にそういうことが行われていたという話ではなく、そうやって自分たちの対局映像で商売をされても仕方がなかった、という意味である。
権利の話は複雑でややこしい。紙媒体と映像媒体でも文化が違う。大まかにいえば紙媒体は著者の権利が異常に強く、映像媒体は放送媒体の権利が異常に強い。
たとえば、いま若手プロたちが「キンマweb」で原稿を書いているが、この著作権は「ほぼ100%」書いた人にある。
竹書房はそのライターに「この金額でこういうものを書いてください」と頼んで原稿料を支払っているが、権利は金をもらって書いた人間にあるのだ。
だから極端な話、そのライターが自分のブログに掲載しても良いし、違う出版社から出る単行本にその原稿を収録しても良い。
出版社からしたら「やってられねー」という構図になっているが、長い歴史の中でそうなったのだから仕方がない。
作家が文字を書いたのは間違いないが、編集者たちは資料を探すのを手伝ったり、著者が取材に行けない代わりに地方に出張して写真を撮ってきたり、ストーリーが煮つまった時にはアイデアを出したりもするのだ。漫画なんかは特にそうで、編集者が実質的な原作者だというパターンもある。そんな共同作業だったとしても、やはり「著者」としてクレジットされている作家の権利が大きいのだ。
当たり前の話だが、あまり不義理なことをすると、その出版社からは嫌われる。否、業界全体から「あいつヤバイ」と思われかねない。だから法的にはセーフみたいなことでも、普通はやらないわけだ。「近代麻雀」で連載した作品なら、普通は竹書房から単行本化する。竹書房が「せえへん」と言ったら「じゃあよそで出して良いですか?」という手順になる。
それが映像の世界では大逆転する。
【製作と制作の違い】
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