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プロ雀士スーパースター列伝 馬場裕一 青春編

【神田の蕎麦屋に入れない話】

 馬場裕一さんと私が2人きりで食事をするのは、たいてい「きな臭い話」の時だったが、大昔はそうでもなかった。
 まだ私が20代の頃、馬場さんと神田を歩いていて「うまい蕎麦屋があるから」という話になり行ってみたのだが、馬場さんは引き戸をガラガラ、と開けて、そのままガラガラ、と閉めた。
 「何やってるんですか?」と聞いたら「昔、迷惑をかけた編集者がいた」と言って足早にその場を去る。
 「もう一軒あるんだよ」と言って少し歩いて次の店に行ったら、またガラガラ、ガラガラ、である。
 「ダメだ。また別の出版社の人がいた」と言った。
 その人にもご迷惑を?
 「うん。俺はある時期、方々で原稿を落としまくっていたから。やっぱり神田はダメだ。飯田橋へ行こう」
 馬場さんはそう言ってタクシーを止めた。
 私がタクシーに乗るや否や「神田がダメなのではなく、当時の馬場さんがダメだったんじゃないですか」と言ったら「そうだよな。俺もあの時は調子に乗ってたわ。原稿落としまくって、遊びほうけて。女の家でドラクエ一晩でクリアするって言って、そんな理由で原稿書かなかったんだから、切られてもしょうがないよね。本当、悪いことした。あわせる顔がない」と言っていた。
 蕎麦屋で10年ぶりの再会をするのもためらってしまうほどの迷惑って。いったい、どんな状況だったのか。そんなこと、実際にあり得るのか。

 若かった私にはリアルに想像することができなかったのだが、その後もよく、色々な出版社の人から「ああ、馬場さんが作ったバビロンの人ね? 馬場さんに、もう怒ってないから連絡くださいって言っといてよ。当時は本当に殺してやろうかと思ったけど(笑)」みたいに言ってくださる方が多くて、その都度、馬場さんに報告すると「ああ、あの人ね! あの人にも迷惑かけたなぁ」と言っていた。
 やっぱり、方々に迷惑をかけていたこと自体、馬場さんの自虐ネタとかではなくて、事実だったのである。

【少年時代】

 立教中学2年生だった馬場裕一少年は、23時になるとテレビに布団をかけ、その中に潜り込んだ。
 「日本テレビ」の「11PM」という大人向け深夜番組を見るためである。
 いわゆるセクシーなものを期待していたわけではなかったが、家族に知られたくなかったから布団をかけて見ていた。

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