プロ麻雀界近代史 世界麻雀夜明け前
【野口賞】
2001年の年始だったと記憶している。
当時、有限会社バビロンの事務所があった飯田橋の雑居ビルの一室に馬場裕一社長が入ってきた。
家賃は10万円で1部屋とユニットバスだけの物件だった。9畳か10畳ぐらいの狭い部屋に、馬場さん、私(黒木真生)、長村大、梶本琢程、Yさん、T君、I君の6人が働いていた。I君以外の5人全員がヘビースモーカーだったため、部屋の空気は常に白かった。
馬場さんは入ってくるなり皆に対して「こういうのをやることになった」と説明をした。
竹書房を創業した野口恭一郎会長の名を戴いた「賞」を創設するという。「野口恭一郎賞」の「麻雀文化部門」「麻雀棋士部門」「特別功労賞」の3部門を作って、それぞれ表彰する。副賞として金一封も添える。
この運営をバビロンがやることになったのだった。
元々は、野口会長から「麻雀博物館設立など、近年の麻雀文化活動に寄与された皆さんを表彰したい」という相談をされたことがきっかけだった。
こういう時の馬場さんの反射神経は凄い。「あ、それならこうしませんか」と瞬時にアイデアが出る。「世に存在する文学賞などのような『野口賞』を作りましょう」と馬場さんは提案したのだった。
これだけだとアイデアを出しただけで終わってしまうが、馬場さんはプラスアルファの案を加えて仕事にするのも得意だ。後日、若手プロ雀士のための「棋士部門」と、若い作家のための「文化部門」もやりましょうと提案するための企画書を作成し、野口会長にプレゼンして話を決めてきた。
文化部門は新人から送られた原稿を読んで審査するもので、主に編集部の人が実務をやってくれる。
特別功労賞は野口会長自身がお決めになって、第一回は麻雀博物館館長の大隈秀夫さんが受賞された。
私たちが「仕事」として請け負うメインは「棋士部門」だった。要するに大会を運営しなければならないのだが「品格、雀力、知識」を兼ね備えた選手に授与するという命題があり、ただ人を集めて麻雀を打たせれば良いというものではなかった。
50名ぐらいの若手プロをピックアップした上で書類審査を行い、24名の選手を選出することになった。
その中には、多井隆晴、長村大、鍛冶田良一、梶本琢程、勝又健志、清水香織、鈴木達也、瀬戸熊直樹、滝沢和典、二階堂亜樹、二階堂瑠美、初音舞、藤崎智らがいた。
全対局を麻雀博物館の対局室で行った。麻雀博物館はもともと竹書房の保養所だったので、宿泊施設が併設されていた。選手たちは泊りがけで、まるで合宿のような雰囲気の中、対局を行った。試合前には、麻雀博物館を見学する時間を作った。最初は興味なさそうだった選手たちも、見ているうちに興味を持つようになっていった。
決勝には、滝沢、長村、達也が残った。
ここから先は
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?