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麻雀の歴史シリーズ⑦最高位戦八百長事件(文・黒木真生)

 人間を神が造ったのであれば、その神は今の人間を見てどう思うのだろうか。
 もし遺伝子とかの中に神の正体みたいなのがいるならば、神は人間を完全にコントロールできているだろうから、何とも思わないだろう。すべては「神の思し召し」であり、私がせっせと原稿を書いていることでさえ「事前に定められていたプログラム」なのかもしれない。
 だが、神がもうちょっとラフに、粘土細工を作るように人間を創造し、ある程度自由に動くようにしたのなら「何だよこいつらは」と思っているかもしれない。こんな風に作るつもりじゃなかった。こんなことになるとは思わなかった。そう思って、すでに「勝手にやってろ」とさじを投げているかもしれないのである。

 文字通り「神のみぞ知る」なのだが、麻雀界ではかつて後者のようなことが起こった。

 神とは阿佐田哲也であり、造られたのは「プロ雀士」である。


新宿コマ劇場前にて(著者22歳)021_01

 麻雀新撰組を造ったそもそもの動機は、新しい麻雀プロを、産みだそうということであった。それまでのプロのイメージは、一方の極に常習賭博者である麻雀ゴロが居り、一方の極に純粋競技団体の有段者が居るという感じだった。
 そのどちらでもない、見せる麻雀を打てる連中、麻雀を読ませることのできる連中を育てようとしたのである。

 
 阿佐田はこのように書いている。
 阿佐田は麻雀プロの「世界」を作ろうとしていたわけではないが「麻雀のプロ」は作ろうとしていた。
 だが、実際には人々が勝手に動き出し「麻雀のプロのような人たち」が増え、徐々に「社会」を作っていった。

 そしてある時、阿佐田は手を引いた。1974年に麻雀新撰組を解散したのである。
 理由は「小説 阿佐田哲也」にも書かれているが、要するに「色々なことが手に負えなくなってきた」からである。
 
 様々な説がある。小島武夫と古川凱章の不仲であったり、本名の色川武大として純文学に専念したかったという理由だったり。阿佐田が文章に残しているように、古川が弟子のような存在を集めるようになり、想定外に「プロ予備軍」みたいな人たちが増えたことを恐ろしく感じたのかもしれない。
 理由はご本人にしか分からないが、人間が何かを判断する際の理由は、シンプルに1つということはない。だいたいは色々な事情や感情が絡まって「辞めた」と宣言するものである。

 阿佐田は完全に麻雀界から足を洗ったわけではないが、とにかく「麻雀新撰組」は解散となり、小島も古川も他の隊員たちも、個別のプロ雀士として活動を続けることになった。

【小島武夫が立ち上げたプロ団体設立準備室】


 「若手プロ」と呼ばれる人たちの数はそこそこになっていた。荒正義、馬場裕一、森山茂和、井出洋介らが若手だった時代である。

 誰が最初に言い出したかは分からないのだが「プロ雀士の選手会のようなものを作ろう」という話が持ち上がった。
 珍しく小島が立ち上がり、個人的に新宿区大久保に事務所を借りて、プロ団体設立の準備室とした。
 有名作家が資金を出してくれるという話もあった。テレビドラマの脚本家としても大成功した方で、かなりの大金を出してくれるという話だったという。
 また、当時「近代麻雀」に続いて新たな麻雀専門誌「プロ麻雀」が刊行されていた。
 「麻雀新撰組」が産み出した「麻雀プロ」という概念が、「若手の麻雀プロたち」に増殖し、やがて「団体」になろうとしていた。
 「団体」は「最高位戦」を運営する「近代麻雀」だけではなく「プロ麻雀」をはじめ他のメディアとも付き合う。そうすれば「近代麻雀」におんぶにに抱っこ、ということもなくなり、ある程度は強気に自分たちの権利を主張できるようになる。個々のプロ雀士では立場は弱いが、カタマリになればある程度は強くなれる。誰もが考えそうなことであり、この時代のプロ雀士たちは、一刻も早く団体化を実現するべきだっただろう。
 だが、ことはそう簡単には動かない。

 皆が皆、参加しようとしたわけではなかった。

 生前、小島に聞いたことがあった。

 古川さんがプロ団体構想に協力してくれれば、だいぶ違ったんじゃないですか?

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