麻雀の歴史シリーズ④ 番外編【エル・インコのイタリア麻雀旅行記】
前回の歴史シリーズ③の最後でイタリアの麻雀について書いたが、その資料を調べていたら、エル・インコという謎の覆面雀士の手記が出てきた。それなりに資料としての価値があると思うので、noteとして再掲載させていただく。
4月25日(木)
イタリアへ出発する日。
一昨日まで出発は26日で、帰ってくるのは29日だと思ってマシタ(ホントは帰ってくるのも30日)。
生まれて初めて(メヒコから来たときは、羽田空港だったのダ)成田空港へ着いたのデスが、これがなんとギリギリセーフ。アウトと言われてもおかしくないような、イチローの内野安打のようなのでした。
旅慣れしていと自称する岸本(信宏/日本プロ麻雀協会のプロ)サンが「大丈夫、大丈夫」とか言うから、安心してもうたやないの! 朝7時に起きて、昼過ぎの飛行機に乗り遅れとったら世話ないワ! お前、ほんまはカッペやろ!!
空港のネェちゃんに変なシール張られて、大急ぎでゲートへ。しかし、危険物の検査のところで、またしても岸本サンが足を引っ張りマス。
ピーピーと何回もやり直しさせられ、そのたびに時計やら小銭やらが出てきて、挙句の果てにはフロッピーディスクが15枚ぐらいジャケットの中から出てきて…お前はドクター中松か!!
飛行機に乗って約12時間でミラノへ。そこからさらにボローニャという街へ行きマス。
ツラかったのはやはり禁煙。機内はまだしも、ボローニャの空港で乗り継ぎを待っている間も、ケムリはすべてシャット・アウトデス。
しかし、そこはやはりイタリア。空港内を歩きに歩き、諦めかけたそのとき…!
なんと、カフェ・バーのテーブルで、世界中の人(日本人はおらんかった)が美味そうにタバコをスパスパ吸っとるじゃないの!
まさに、地獄に仏。鬼の目にも涙というやつデス。ホントはよくないのだけど、背に腹は替えられませんので、我々も参加。一服、二服とさせてもらいました。
イタリアらしいといえば、ちょっと肝を冷やした事件がありマシタ。
飛行機を乗り継ぐため、電光掲示板の指示通り乗り場へ行った我々。しかし、待てど暮らせど、中々係員がやって来マセン。
岸本「なんか変やな。ちょっと見てくるわ」
おかしいと思った岸本氏が、再度掲示板を見てみると…コラ、場所が変わっとるやないかい! …マッタク、おかんに部屋の掃除を勝手にされて、大事なマンガを勝手に捨てられたような気分にナリマシタよ。
多分、ちゃんとアナウンスはあったのでショウが、我々イタリア語ワカリマセン。危ないところデシた。
やっとの思いでボローニャへ到着。やっと眠れると部屋へ入ってみると、なんとダブルベットがデーン! 2人部屋とは聞いてマシたが、我々はそういう仲ではない! 否、岸本氏はどうかわからんが、少なくとも私にはそういう趣味はないわよ!!
岸本氏がフロントにお願いし(岸本氏の方が、私より英語がウマイ)、部屋を替えてもらいました。さあ、次の部屋はどんなんかな…って、オイ、結局一緒やがな!! キレイに2つ並んどるやん! 意味ないやん!
さっきのダブルベッドの真ん中に線が入ってるだけの、そんな、ちょっとシャイな2人にオススメの一品が、そこには備え付けられていたのデシた。
「しゃあない、これ以上言うてもわからへんやろ。我慢しまショ。メシ食いに行きましょうや」
私の提案で、イタリア初の食事に出かけます。岸本氏が、
「さっきレストラン見つけたから」
と言うのでついて行った私。じゃあ、ギョーザとチャーハンとマーボードーフで…ってこれ、中華料理やん!!
なんでイタリア来て中華食べなあかんねん!! どついたろか、どアホ! 東大ではイタリアでギョーザ食えいうて教えられるんか!?
岸本「でも、チャーハンは美味しかったなぁ~」
…今日のインコは、岸本氏とイタリアに突っ込みすぎて疲れマシタ。お休みなさい…。
4月26日(金)
ミセス・ペーチェというイタリアン・マージャニストが迎えに来る前に、少し時間がありマス。フロントにお願いして、延長させてもらおうと思ったら、なんと、
「まだその部屋誰も使わへんし、別に好きにしたらええやん」
ですと。こういうところ、イタリアのいいところデス。
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