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プロ麻雀界近代史 森山茂和副会長の功績

【森山さんの信念】

 活字の近代麻雀が復刊する2年前、2002年にKONAMIから「麻雀格闘倶楽部」というアーケードの通信対戦麻雀ゲームがリリースされた。
 当時、すでに「東風荘」というインターネット麻雀サイトがあって、人気を博していたが、ゲームセンターに通信対戦の麻雀ゲームが置かれたのはこれが初めてだった。
 当時、私もこのゲームがリリースされることをぜんぜん知らなかったのだが、2001年ごろ、森山茂和副会長(当時)が頻繁に神戸に行っていたのは知っていた。

 神戸は私の生まれ故郷でもあり、そこに森山さんが時々行っているというのは興味があって、ご本人にも聞いたのだが「まあちょっと仕事でね」としか言われなかった。
 今思うと、ゲーム開発の守秘義務があったからなのだろう。
 出版業界は、今どんな本を作っているとか、次にどんな本が出るのかとかは、そんなにガチガチに内緒にしない。制作期間はだいたい2か月とかその程度で、長くても半年ぐらいだから、さほど問題にしないのだろう。
 だが、ゲーム業界は本当に厳しい。1作品にかける制作期間は長いし、動くお金もケタが違う。
 だから森山さんも絶対に情報をもらさなかったのだ。
 この「麻雀格闘倶楽部」のシリーズが脈々と続き、現在の「大和証券Mリーグ」「KONAMI麻雀格闘倶楽部」というチームにつながっている。22年も続く超・長寿ゲームとプロ連盟の蜜月関係だが、当初はもっと「ライト」な話だった。

 当時新宿区四谷にあったプロ連盟の道場にKONAMIから連絡があった時は「ゲームの公認」のオファーだったという。
 当時からプロ連盟にはゲームの公認や監修のオファーは結構あった。
 初期の頃にオファーを受けた際は、ゲーム業界に精通しているプロ雀士Aさんが担当した。が、結果的にそのゲームは「プロ連盟のもの」にはならなかった。

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