ケネス徳田伝説④ エイプリルフールを境に
文・黒木真生
【スキーウェアで出社】
徳田が私の顔面にトランプを投げつけた話だけを読むと、奴がヤバイ人間みたいに思われるかもしれない。もちろん、その行為自体は良くないのだが、彼には彼なりの理由があった。
ある年のエイプリルフールを境に、徳田は私のことを信用しなくなり、敵視するようにもなったからだ。
2001年か2002年だったと思う。
4月1日の昼前、珍しく麻雀企画集団バビロンのメンバーがほぼ出そろっていた。徳田だけがいない社内で、誰かが「エイプリルフールですね」と言った。
そしてまた誰かが「徳田はそういうの簡単に引っかかりそう」と言った。
私は「こうなりそう」とか「こうなるんじゃないか」ということをクドクド話し合うのは好きでなくて、実際にどうなるかやってみるのが良いと思う性格だ。
すぐに徳田に電話をかけて「今日、野口会長がスーツで集合とおっしゃってるからスーツで来てね」とウソをついた。
野口会長とは竹書房の創業者で当時会長だった人だ。国際公式ルールの麻雀世界大会開催を推進したり、麻雀博物館を作った。若手プロやバビロンへの援助もしていただいた。
その方が「集合」と言ったら何か深い意味があるのだが、野口さんは安易に人を「集合」させるような方ではなかった。だいたいは、野口賞を受賞した梶ヤンあたりが若手の代表として呼ばれて、何かを渡されたり、話されるのが普通だった。
梶ヤン(梶本琢程さん)か長村大だったか忘れたが「それじゃウソじゃなさそうじゃん」と言う。確かにそうだ。
すぐにかけ直して「あ、やっぱり野口会長がスキーウェアで集まれって言ってる。しかもスキーウェアのままで来てほしいと言ってる」と言った。まあ、これで絶対に引っかからないだろう。
すぐにかけ直してきて訂正するのはおかしいし、4月1日にスキーウェアで飯田橋に集合させるわけがない。万が一スキーに行くとしても飯田橋の時点でスキーウェアである必要はない。
当時の竹書房は飯田橋にあって、バビロンの事務所はその向かい側にあった。
徳田の自宅は大久保だった。
梶ヤンと長村が「いやー」と言う。
いやいや、これで引っかかるような人はおらんでしょ。さすがに今日が4月1日ということとあわせて、ウソだとわかるでしょう。
梶ヤンと長村は「いやいや、きちゃうんじゃないかな。スキーウェアで」と言う。
私は100%確信していた。
スキーウェアなどで来るわけがないと。
約30分後、バンバンバン、と、いつものように大きな足音を立てて徳田が階段を上ってくる。
真っピンクのスキーウェアで登場し、息を切らせながら「飯田橋の交差点で気づいたけどな、腹立ったからこのまま来てやったよ!」と叫びながら
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