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デビュー戦の後悔、あの放銃の瞬間に脳裏に浮かんだものと鈴木優を襲った初めての感覚。そしてMリーグは自分とは関係のない世界と思っていた渋川難波を変えたある存在…。渋川難波・鈴木優対談スペシャル企画(2)


Mリーグが発足した頃、渋川難波(KADOKAWAサクラナイツ)と鈴木優(U-NEXT Pirates)は共に、何百人といる麻雀プロの一人でしかなかった。
彼らはそこからMリーグをどのように見つめ、道筋を、夢を描き、たどり着いたのか。そして初戦を終えた二人の想い、さらに悔しくもラスを引いた鈴木のあの瞬間に脳裏に浮かんだものとは…。(全3回の2回目/#1#3へ)
[文・東川亮]


■渋川難波の心境を変えた、ある存在とパブリックビューイング

――Mリーグができたときの率直な印象はいかがでしたか。

鈴木 Mリーグ発足前は、麻雀プロもタイトル戦の賞金や執筆だけで食べていける世界ではなくて、麻雀店で働くとか、別の仕事をしながら活動している人がほとんどでした。だから、企業にスポンサーになってもらって、年俸をいただいてチームのために麻雀を打つ、という世界ができることには本当にワクワクしました。

 最初のドラフトが行われたとき、僕は麻雀プロとして全く実績がなかったのですが、会場には行きました。そこで名前を呼ばれて壇上に上がっていく人たちを見てうらやましいと思いましたし、何年かかるか分からないけどあの場所にいきたいという気持ちが芽生え、Mリーガーになるために何が足りないかを意識するようになりました。

 その意味ではあのときにドラフト会場に行けて良かったと思いますし、今はやっとたどり着いたな、という感じです。

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渋川 僕は優さんとは違っていて、すごいことが起きるんだなとは思っていましたけど、自分とは関係ない世界で、選ばれることもないと思っていました。その日も解説の仕事があったので、ドラフト会場には行っていません。

 他人事というか、あの頃はそういうことに興味がなかったんですよね。リーグ戦とかを楽しくやれればいいかな、くらいの感じでした。

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――その意識が変わったきっかけは。

渋川 2シーズン目の終わりくらいに解説で呼んでいただけたのと、その後に堀(慎吾)さんがKADOKAWAサクラナイツの指名を受けて、Mリーガーになったことですね。

 ただその前にはパブリックビューイングにいく機会もあって、コロナ禍の前だったのでたくさんのお客さんが盛り上がっていて、「こんな世界があるのか、こんなに純粋な麻雀ファンの人たちがいるのか」と、自分の知らない世界を目の当たりにして、少しイメージが変わったところもあったと思います。今まで麻雀対局を見てこなかった人たちがたくさんいる感じがあって、それにすごく驚きましたし、そういう人たちに向けて何かできることはないかと考えるようになりました。

 Mリーグの解説に呼ばれたときには、これまでのコア層に向けた解説から、ライト層の方でも楽しめるように明るく楽しく分かりやすく、というふうにモデルチェンジをして、そのかいもあってか、Twitterで全然関係なかった人たちからフォローされたり、街中で声をかけられるようになったりするようになりました。そういう変化には驚きましたね。

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――そうした活動を通じてMリーガーになりました。振り返ってみていかがですか。

渋川 思ったより早くなれた感じがありますね。今の8チームを考えたときに、僕のことを獲りそうなチームがそもそも少なくて、なおかつ枠が空くかも分からない、新規企業が入るかも分からない状態だったので、そんなに早く入れるとは思っていませんせした。

 YouTubeが結構人気になって、雀王のタイトルを獲って、僕のことを獲りそうなチームの枠が空いた。いろいろなタイミングが重なった結果だと思います。

鈴木 僕はとにかく実績がなかったので、Mリーグから声をかかるようになるためには、とにかく目立つ活躍をしなければいけないと思っていました。

 一時は全然練習していなくて、自分のお店で麻雀を打っているような時期もあったんですけど、それでは勝てないとなりとにかくたくさんの私設リーグや勉強会に参加して競技麻雀を触れる機会を作るようにしてきました。そこでMリーガーとなった村上淳さんや園田賢さんなどにいろいろなことを教えてもらって、最高位になれて、念願が叶いました。サボっていなくて良かったと思います。

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■Mリーグは最強になるために必要不可欠な場所

――そうしてお二人はMリーガーとなられました。Mリーグはあなたにとってどんな場所ですか。

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