続・灘麻太郎伝【文・荒正義】
流れの認識
灘さんは昭和12年生まれ。私は昭和27年生まれだ。
灘さんに初めて声をかけられたのは、昭和50年、私が23歳のときだった。
当時は、阿佐田哲也の名作『麻雀放浪記』が大ヒットし、世には麻雀ブームが到来していた。
「オレは、人前で能書きは言わない。オレの麻雀を見て、覚えろ。その感覚が、お前の財産だ!」
と、云われた。
私は赤坂の『東天紅』で、灘さんが打っているときはいつも後ろで見ていた。
私の読みと洞察力が高くなったのは、それからである。
ある場面でこんなことがあった。東1局7巡目、灘さんの手がこうなった。
ここにドラの發が対面から打ち出された。灘さんは、
「ポン!」と、云って②切りでカン⑤ピンに受けた。親のドラポンだから、場に緊張が走る。
この時、⑥ピン切りで筋の③狙いはどうか、という人もいるだろう。
しかし、相手は常連で手練れなのだ。最終打牌が⑥ピンならば、⑥ピンの周りは危険牌。筋の③ピンも危険牌に入る。
ならば、ここでは②切りが勝る。
これなら③と⑤のツモの確率は同じだが、次にツモが⑦と来たときマチが両面になる分、ツモの確率が倍に広がるからである。
しかし、次の灘さんのツモは、③ピンだった。
灘さんは⑥ピンを切り、
振りテンの両面待ちに受けた。⑤ピンはどうせ出ないと思ったからである。
すると今度は、ドラを切った対面からリーチが入った。その河はこうだ。
灘さんは一発目の一万を叩き切る。次に来たのは九万だった。
灘さんは親である。ツモなら4000点オールだ。しかし、一瞬考えて切ったのは五万だった。
後はリーチの現物を切り、完全撤退となる。
流局間際、南家がワンチャンスの九万を切ったら、ロンの声。
八万が3枚切られたのだ。
西家の手牌はこれだった。これが一通の高目の満貫。
「アガリ逃しの後、次に来るのは相手のロン牌である」
この格言が、昭和の麻雀の「流れの認識」の一つである。二万切りが早いから一万は切るが、マンズの裏筋の九万は切らない。
平成、令和で育った若手のプロは、この「流れ」など、見ない者が多い。
単なる偶然というのだ。私は、それは間違いだと思う。
麻雀は、技を磨いたら次は「運」と「流れ」を知ることから始まるのだ。
私は、卓上ではいつも相手と自分の「運」と「流れ」の追求である。
見えない部分で、麻雀を知ることが大事。確信が持てたら「押し引きの判断」は、そこで決断するのだ。
見える部分で戦うのは、並の打ち手にしか見えない。そんな打ち手は、この世にゴマンといる。
視線を追う
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