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【無料記事】輪島のプロ雀士②鉄道会社かラーメン屋か、究極の二択【庄田ボーイ】

 2024年1月1日。
 地元に帰った僕はじぃちゃん、ばぁちゃんに「ただいま!あけましておめでとう!」と言い、実家で少しゆっくりした後、毎年恒例、母親の実家で親戚の集まるパーティーに参加した。

12時30分
 少し前に見たはずの親戚の小さい子供が随分大きくなっていた。ご飯も美味しい。小さい頃よく食べた懐かしの味だった。正月ならではの雰囲気に心が温まる。

14時
 「みんなでゲームでもやろうか!」
 トランプだったり家の中で野球したり、笑いが絶えない。幸せだった。

16時
 「あ、そうそう俺今ね、こんな仕事してるんだよ。慣れなくて大変だけど周りも良い人たちばっかりで、なんとか頑張ってるよ!」
 親戚一同の前で近況報告をする。
 「そうか、頑張れよ!』『帰れる時は帰ってくるんだぞ」
 僕の仕事に不安を持っていた親戚達も安心した表情を見せていた。

16時06分
 激しい横揺れと共に全員の携帯の緊急地震速報が鳴り響いた。震度5強。揺れている時間は10秒ほどか。
 「正月に地震なんてついてないな」
 「焦ったな、久しぶりだこんな地震」
 石川県の能登地方は地震の多い地域である。
 少しの地震ではもうビクともしない耐性が付いていた。
「じゃあ最後にもう一回!」
 トランプを配り始めた。

16時10分
 トランプを配り終えたタイミングでまた横揺れが起きた。震度3か?…10秒経っても止まらない、むしろ揺れが大きくなっていった。
 これは震度…5? 6?
 15秒…30秒…爆発的な音とともに激しい縦揺れと横揺れが起きた。
 全ての窓ガラスが割れる音、親戚の悲鳴、テレビの落下、人の2倍くらいあるタンスが宙を舞い、吹き飛んだ。
上を見ると目の前に天井がある。壁もなにもかも崩れてきた。
 ふと外の景色が目に入った。目の前でいくつもの住宅が崩れていった。
 石川県で震度7を観測した揺れは1分から2分近く続いていた。
 「あぁ、これが人生の終わりか」
 本気でそう思った。
 家を出る事もできない、立ち上がる事も、人を守る事もできない。このまま運に身を任せいつ止まるか分からない大地震の中で、人生の諦めがついた。
 今まで生きてきて、死ぬとどうなってしまうのか、考えた事が何回かあった。
 考えるだけでも怖くて、たまらなかった。
 でもあの震度7の時。
 「これはもうしょうがない、ダメだ」
 そう思った。
 「もうダメだ」
 この言葉で人生のケリがつくほど、どうしようもない地震だった。
 その後はなにも考えなかった。
 ただ崩れ行く家と親戚たちを見ながら必死に柱に捕まっているだけ。
 「生きたい」
 そう思うこともなにもなく、ただ呆然としていた。
 「やっと僕は『夢』の入り口に立ったところだったのに、もう終わるんだ」
 そう思った。

 僕は高校の進路希望に「プロ雀士」と書いてから、母親とケンカばかりしていた。
 頭ごなしに僕の夢を否定する先生と母のことが許せなかったのだ。
 でも、僕の中でも母親に言い返せない所があった。
 「実際プロ雀士ってなにやってるか分からないし、生活できるのか分からない」
 ずっとずっと考えた。
 でもどうしても諦めきれなかった。
 あの日のプロの役満が脳裏に染み付いていた。
 そこで思いついたのが「東京で就職をする」ということ。両立できるのか分からないけど、これなら納得してくれると思って提案してみた。  
 心配症な母親はそれでも半年近く嫌がった。
 その期間も何度もケンカをした。
 父親は寡黙で、あまり僕のやる事に口を出さないタイプで、僕のやりたい事は基本自由にやらせてくれた。
 そんな父親の助言があったのかは分からないが、いつの日か母親は、寂しそうに「祐生の好きなように生きな」と言ってくれるようになった。
 
 でもそれがなんとなく寂しく感じる年頃でもあった。
 
 本当に俺は得体の知れない麻雀プロの世界に行っていいんだろうか。地元を離れて東京に出て行っていいのだろうか。時間だけがあっという間に過ぎていった。
 就職試験のシーズンに入った。
 地元の小さな高校に来ていた東京からの求人は、鉄道会社とラーメン屋の2択だった。
 決意が固まらないまま、選択を迫られた。
 電車なんか輪島にない。乗った事もないし学校の勉強をした事もなかったけど、なんとなく安定してそうな鉄道会社に決めた。

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