本田朋広の後悔【文・長村大】
【動機】
待ち合わせ場所の吉祥寺限界地下酒場に入ると、すでに本田がカウンターに座っていた。
「おはようございます。長村さん毎日来てるみたいだけど、今週何日目ですか?」
やかましい、おれがヒマ人みたいに言うな。実際ヒマ人だけれど。
客は他に誰もいない、それはそうだ、待ちに待った週末の土曜日に、わざわざこんなうらぶれたバーで飲むやつはそうそういない。
みな、もっとどこかでなにか楽しいことをしているのだろう。それがどこでなにをすることなのかは、おれにはよくわからないが。
本田朋広──今さら言うまでもないが、日本プロ麻雀連盟所属、Mリーグ・チーム雷電の新人選手である。
彼と初めて会ったのは、昨年の風林火山オーディション準決勝の前であった。おれも本田も、予選の成績では惜しくも6位には入れなかったが、ワイルドカードで拾われて準決勝に進出することができた。
その準決勝以降の放送のため、宣材──スチール写真やインタビュー──を撮る機会があった。そこで、である。
もちろん最強戦などで名前も顔も知っていたが、人となりは全然わからない。なんなら「どうせスカしたイケメンだろ、おー怖い怖い」くらいに思っていたかもしれない。
だが実際に会った本田は、めちゃくちゃいいやつだった。全然スカしてなかった。
撮影の4日間を通して同じ楽屋であったが、気取ることのない──失礼かもしれないが、朴訥な田舎の青年、という感じであった。楽屋のお弁当、肉か魚の二択で長考していたのを思い出す。
本田が麻雀プロの世界に足を踏み入れたのは、意外に遅い。28歳のときであったという。そう、その端正な顔にはまだ少年の面影を残す本田だが、もう若手といえる年齢でもないのだ。なぜ30も手前になってから、「麻雀プロ」という選択をしたのだろうか。
「25歳のときに、地元の富山県で『SB』という麻雀店を出したんですね。で、ちょくちょく勉強と視察も兼ねて──まあ半分遊びなんですけど、東京の麻雀店に来てた。そしたら偶然、地元の後輩に会って、今麻雀プロやってると。それがきっかけですね」
「そんな強い動機ではない?」
「そうですね、自分が有名になりたいとか麻雀強くなりたいとかっていうより、お店のためが大きかったです。もちろん近代麻雀やモンドTVは見てて、当時は滝沢さんや寿人さん、二階堂姉妹に憧れてっていうのはありますけど」
昔も今も、人は近代麻雀を読んで大きくなるのだ。
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