ケネスの両親について【文・ヨメス】
12年前の夏、ケネスは父の葬式に参列するために北海道を訪れた。
そこで、生まれて初めて、自分の兄姉(きょうだい)と会う。
腹違いのきょうだいだった。
ケネスの母は、若かりし頃、家族のいる男性と恋に落ちた。
それがのちの、ケネスの父である。
2人は駆け落ち同然で一緒になったが、長い間子はもうけなかった。
ケネスの母が、前のご家族への罪悪感を拭えずにいたからだ。
しかし、一緒になって10年以上が経ち、30代も半ばになった頃、お腹に芽生えた命を最後のチャンスと思い、産むことを決意した。
そして、生まれたのがケネスだ。
ケネス自身が幼少期のことを語ることはあまりないが、ケネスの母曰く、子供の頃からかなり変わった子であったらしい。
とにかくマイペース。本ばかり読む子だった。
ケネスの父は、背中や腕にいろんな絵が描いてある人たちを、自宅マンションに招き、頻繁に麻雀をしていた。
それがどうも、警察に事情を聞かれる事態となり、手伝いをしていた母もろとも、しばらく自宅へ帰れないことがあった。
その間、小学生のケネスは、親戚の家で過ごした。
両親の不在は長期に渡り、学期ごと小学校を転校せざるをえなかったそうだ。
そして、ケネスが9歳の時、両親は離婚する。
夫婦仲の問題ではなく、金銭的に困窮してのことだった。
ケネスの母は、ケネスを連れて故郷の札幌を飛び出し、東京の、親戚が営む店で働くことにした。
接客業ということもあり、出会いも多かったからか、母の恋人らしき男性が、時々家を訪れり、住んだりしていた。
しかし、ケネスは特に意に介さなかった。
母の人生は母のものである。
ケネスもケネスで、高校生になると友人宅に入り浸るなど、自由に生きていた。
大学進学も自分の判断で決め、費用も自分で払った。
私がケネスと知り合った時、彼にはまだ、学費のローンが残っていた。
結婚してからもしばらく支払いは続き、第一子が生まれる前後くらいに、完済したのではなかっただろうか。
そのため、ケネスは金に余裕のある男ではなかった。
私は、
「私のどこが好き?」
と聞くと、
「メールした感じいけそうだと思ったから」
と答えるような、ケネスの正直なところが好きだったから、結婚も前向きに考えていた。
しかし、正直すぎるが故に、不安になることも口にしていた。
付き合いたて当初、毎回奢ってくれるケネスに、こちらも支払いを申し出ると、彼はにこやかに笑って、こう言ったのである。
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