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ケネスとの出会い【文・ヨメス】

2012年1月28日、日本プロ麻雀協会10周年記念パーティーが、マンダリンホテルにて大々的に行われた。

そこで、当時協会員だったケネスと、私は、運命的な出会いを果たすことになる。

12年前、私はまだ、連盟員ではなかった。

それどころか、協会員でもなく、プロですらなく、定職もなく、恋人もなく、金もなく、夢もなく、居候だったのでまともに自分の家すらない、ただの麻雀好きの女だった。(当時29歳)

麻雀好きと言っても、麻雀業界が好きだったわけではないので、プロ団体事情というものも知らなかった。

この世に麻雀プロというものが存在する、というのはなんとなく知ってはいたが、団体が複数存在するということも知らなかったし、もちろん、有名と言われるプロの名前も知らなかった。

ただ1人、知り合いの麻雀プロがいた。

日本プロ麻雀協会所属、上野あいみプロである。

その当時の登録名は、蓮姫碧唯美といった。

なぜ彼女と知り合いだったのか。

理由は簡単、お互い麻雀を始める前からの知り合いだったからである。

私とあいみちゃんは、同じ養成所出身の、先輩後輩関係だった。

麻雀を始めたタイミングは、私の方が先だったかもしれない。

しかし、彼女はいち早くプロになった。

お互い麻雀をやる、ということは知っていたが、ほぼ一緒に卓を囲むことはなかった。

特別、仲がいい、というわけではなかったのだ。

そう、あの時までは。

ある日突然、あいみちゃんから連絡が来た。

「助けてください〜」

事情を聞くと、今度行われる日本プロ麻雀協会10周年記念パーティーで、偉い人から、「君はお笑いのプロなんだから、何か余興をやってくれ」と、依頼が来たのだという。

あいみちゃんは、麻雀とお笑いを絡めたネタを作ろうと試みたが、自分1人で考えるには限界があった。

そこで、麻雀の知識もある私に、一緒に考えて欲しい、と頼み込んできたのだ。

当時の私は、ものすごく暇だったので、麻雀ネタを考えてみることにした。

すると、どうも思いつく内容は、漫才ネタばかり。

一番作りやすい構造は、ボケ、ツッコミがわかりやすく存在する漫才だった。

どんな現場になるか未知だったが、漫才だったら、お互いをフォローし合える。

そこで、あいみちゃんに提案した。

「私、無関係だけど、漫才しか思いつかないから、一緒に出演してもいい?」

「ええー!いいんですかー?もちろんです。ありがとうございます!!」

彼女は協会に無断で、勝手に許可を出した。

こうして、私とあいみちゃんは、女性麻雀漫才コンビ「紅孔雀」として、日本プロ麻雀協会10周年記念パーティーに出演することとなった。(のちほど正式に許可をとった)

当時披露した漫才の内容を、少しだけ紹介しよう。

まず、つかみだが、協会のパーティーなのだから、協会の先輩をイジった方がウケるのではないか、という話になった。

以下がその漫才の台本である。

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