仲林圭との思い出【文・吉田光太】
仲林圭という男
後輩のバーターで売れる気などない。
ただ書きたいから書くんだ。
協会A1リーグで誰もが憧れるMリーガー。
良家の出で、イギリス帰りの帰国子女。
早稲田大学。
卓越した論理を展開する振り返り配信が人気。
陽キャでコミュ力が高く、一応イケメン。
これだけ見ると、誰もが羨む恵まれた人間の様にも思える。
ただ、付き合いの長い私の印象は違うかな…
思い出話に少しお付き合いください。
出会いは六本木
六本木—--、ちょっぴり怖くて大人の色気がある街だ。
当時29歳だった私は六本木で麻雀店を経営していた。
毎日、朝から夜まで卓に着く。
スピードバトルの店なので日に35回は打っていた。
そんなある日、上家に一人の青年が座った。
ん、若いな...
スタッフの友人か、SNSを見てきた数少ない私のファンだろうか?
第一印象はオシャレな服を着た真面目そうな子、だった。
「ラウンジリザード」という私が好きな細身のブランドのカットソーを着ていた。
私は仕事柄、見知らぬ客はまず素性の“見立て”から入る。
歯はあるか、靴や財布はマトモか、腕時計までも値踏みする。
さらには手の拳ダコ、目の周りに傷跡はないか(喧嘩グセは無いか)までチェックする。職業病だ。
彼への“見立て”は「学生でどこかのメンバーをしており、一つ腕試しに来た」といった所だろうか。
ただ、生まれ持った“品”は感じた。
6ゲームぐらい同卓した気がする。
マナーは良かったが、その他は特に印象が無かった。当時の私は他人に興味が無かったからだ。
仕事を終えて帰宅すると、SNSにDMが届いていた。
「吉田プロ、きょう同卓させてもらった仲林っています。ありがとうございました!
今日のこの場面、僕はコレを切ったんですが合ってますかね?」
そう言って、場の状況と手牌の説明文を送ってきた。
私は半分も見ずにDMを閉じた。
本当に他人に興味が無いんだ。
それに、大事なのは「何を切る」じゃなくて「何をツモって来るか」だからな…
今まではスルーしたきたが、私はハッと思い直した。
六本木の店のゲーム代は安くない。
客は近隣の富裕層や界隈で商売をやってる人間ばかりだ。
だが、若い客も必要じゃないか。
「うん、私もそれを切るよ。良かったらまた打とう!」
そうDMを返信した。
すると仲林から「すぐにまた打ちに行きます!」
と嬉しそうなメールが返ってきた。
これが大人の処世術だよ。
(何切るは本当に正解だった)
仲林圭は話を盛っているか?
先日、好評を博した「追憶のM」、キンマWEBの「ゲスコラム」。
同テンをツモられたのはお前が初めてだ
俺なら5枚目をツモれるかもしれない
研究会に参加するぐらいなら俺を研究しろ
仲林は私のトンデモ発言をよく紹介する。
記事を書くためには「ネタ」や「引き」が必要だ。
多少の脚色も世には溢れてるだろう。
だから私は仲林が私をどう使おうが構わない。
ただ、記憶を遡るとこんな日常だったことを思い出した。
六本木で朝から打っていた私はマイナスが続いていた。
相手にツモで蹂躙され、自分のチャンス手は横移動で潰されるという悪展開。
最速4局しかないスピードバトルだ、ちょっとツカないと負けも早い。
私にこんな手がやってきた
(東3局7巡目 親ドラ五 21800点)
親番で先制できそうなチャンス手だ。
⑦⑧か34s
どちらのターツを外すか…
私の選択は(金)五切りだった。
そしてその局はリーチをかけて⑨をツモって裏ドラが乗って2600オールだった。
卓を抜けると目を丸くした仲林が立っていた。
「ナゼ――、(金)五を…」
「四七万が引ける時間帯じゃないからな」
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