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【無料記事】自分は頭がおかしいんだなと、まともじゃないんだな、何で周囲の人とこんなにも価値観が違うんだろう【岡本壮平】

一つの事に没頭し続ける人生ってそれでいいのかなと悩んでいた事があって、そんなときに時に心に響いた言葉がありました。

将棋棋士である羽生善治さんが「豊かな人生とは」という問いに対して「後悔がたくさんある事」と答えていたんです。

羽生さんの回答を聞くまでは、豊かな人生とは「多くの事に興味を持って経験して、人生でやりたい事をやりつくす」とかかなぁと考えましたが、やりつくすとは好奇心の需要が尽きてしまうむしろ乏しいことなのかもと考えるようになりました。
そして、多くの事に興味を持って経験する人生も良いけど、「一つのことに没頭して、いつまで続けても好奇心の需要が尽きず深く追求していくこと」で、その他の生き方に選択肢があった事に後悔することは、それはそれで豊かな人生と言えるかもしれないと考えながら最近は生きています。

 
初めまして!最高位戦日本プロ麻雀協会の岡本壮平、そして天鳳位のおかもとです。

麻雀を覚えたのは15歳の頃。その頃は麻雀以外にも将棋や大富豪などの他のボードゲームと並行して遊んでおり、好きなゲームの1つでしかありませんでした。
大学に入学して友達と頻繁に宅打ちをするようになり、そのセット仲間の一人からレベルの高いネット麻雀があると教えてもらったのが天鳳でした。

天鳳をドラゴンボールに例えると「精神と時の部屋」みたいなもんです。

麻雀以外の要素を排除、リアル麻雀や他のネット麻雀よりもスピーディに打てて練習効率が良い、牌譜が見やすい、絶妙なバランスの段位システム、手ごわい対戦相手、あっというまに虜になりました。自分の求めていた環境がそこにありました。
そこからは、ほとんど毎日のように天鳳を打つ日々が始まりました。布団の横にノートPCをおいて起きたら天鳳、寝る時は人の観戦をしながら寝落ち。

天鳳→フリー雀荘→天鳳→フリー雀荘

たまにセット麻雀したりバイトしたり恋愛したりという生活を大学卒業まで無限に繰り返していました...狂ってますね...。大学の講義中は麻雀の戦術書や近代麻雀の戦術コラムを読んだり、河読みの練習をしていました。大学のゼミのPCではバンブー麻雀をしていました。

奇跡的に大学を卒業できて不動産会社に就職してからも麻雀熱は収まりませんでした。
入社してから20時~22時まで残業する事も多く、可処分時間がガクっと減って、まともな人間であれば、飲みにいったり旅行にいったりあるいは結婚したりするんでしょうが、僕はほとんどの時間を麻雀に費やしていました。

退社→天鳳→退社→フリー麻雀→退社→天鳳…

以下無限ループ。
休みの日には強い打ち手を探すべく、また色んなルールで打つべく大阪や広島、東京と色んな雀荘に行って打ちまくってました。
睡眠時間を削って毎日打っていたら過労で扁桃炎が悪化して膿瘍となり3回入院(内、1回は扁桃腺切除)しましたが、入院中も天鳳を打ちまくってたのを覚えてます。
ちなみに15年間で2万戦以上天鳳を打ってるんですが、同じくらいもしくはそれ以上にリアル麻雀には時間を費やしているかと思います。
 
27歳には1度目の天鳳位を取ることができました。達成した瞬間はそれなりに自分の麻雀に自信を持つことが出来ました。その半年後には「天鳳位vs連盟プロ」という企画に参加して連盟のオールスターとリーグ戦を行う機会をいただきました。
 

 
ものの見事に惨敗でした。結果だけでなく内容も惨敗だったかと思います。
翌年には麻雀最強戦に出場させていただきました…何もできず惨敗です。あっという間にそれなりの自信は崩れ去りました。

天鳳位は達成することは気が遠くなるものすご~く大変な称号であると今でも思ってますが、ゴールではないと気づかされました。今思い返しても麻雀ばかりしてきましたが、それでも自分の力不足を感じて悔しくて仕方がありませんでした。もっともっと強くなりたいと思いました。

そこから2度目の天鳳位を目指し始めました。

退社→天鳳→退社→フリー雀荘→退社→天鳳…

何千回と繰り返しました。20代の内に2度目の天鳳位になりたかったのですが、30歳の誕生日を迎えた2か月後に2度目の天鳳位になる事ができました。最年少での2回達成は今でも結構嬉しかったりします。
天鳳位vs連盟プロ、麻雀最強戦に惨敗してから2度目の天鳳位になるまでが一番実力が向上したかと思います。負けがブレイクスルーのきっかけとなりました。
そして2020年~2023年の間に天鳳名人戦に出場しました。
多くの鉄強プレーヤーがこの大会を通して僕の事を評価してくれたんじゃないかと思います。堀慎吾さん(最強戦に推薦してくれた。まじで頑張ります。)、木原浩一さん(youtubeとかでよく僕の名前だしてくれる。本当に感謝してます。)、醍醐大さん(一度noteで名前あげてくれてた。嬉しかったです。)

ただひたすら強くなることを追求してきて、2回の天鳳位を達成した事でネット麻雀での目標は達成しました(この時点ではですが...今は3回目なりたいです)。
しかし目標を達成したにも関わらず、その後に待ち受けていたのは絶望感でした。30年間生きてきて最も落ち込んだ時期だったかと思います。気分が沈んで仕事もまともに手がつかず何もする気力をなくしました。

「これから何を目指せばいいんだろう...」

アマチュアかつ地方住みである以上、これ以上麻雀において目指すものがなくなっていました。プロになって自分の力を試してみたいという気持ちがどんどん強まっていきました。しかし岡山県に住んでいて会社員をしつつ、しかも火水休み...出来っこないと思いました。転職して東京に行って競技麻雀に取り組もうと思い親や兄弟に相談しましたが誰からも同意を得ることができませんでした。
相談した時に「依存症だな…」とふと言われたのが本当に本当に辛かったのを覚えています。

自分は頭がおかしいんだなと、まともじゃないんだな、何で周囲の人とこんなにも価値観が違うんだろう、普通の生き方ができないんだろうと辛くて気が狂いそうでした。

何よりも、やりたい事が明確にあるのに決断できないのを周りのせいにしていた事に対しての自己嫌悪が激しかったです。
そうこうしている内に月日は流れ、ある日、最高位戦所属の津田岳宏さんから私設リーグであるGリーグへの参加依頼がきました。目標を見失って麻雀のモチベーションが下がっていた中で目先の目標が出来た事で本当に嬉しかったのを覚えています。大阪で開催の私設リーグで現在U―NEXTパイレーツの鈴木優さん、現女流最高位の相川まりえさん、僕の最高位戦入会の推薦人になってくれた佐藤崇さん、元雀王の角谷ヨウスケさんといった豪華メンツのリーグ戦でした。Youtubeにも動画がアップされてるのでよかったら見て下さい。
そこで麻雀を打つこと、そして麻雀業界の方と過ごす時間が本当に楽しくて、これからも携わっていきたいと心底思った事を今でも覚えています。
そこで津田さんが「岡本さんはプロにならないの?」と誘ってくれました。
....これが決断できる最後のチャンスだと思いました。
今の環境で仕事と両立できるか分からないけれど、岡山県から通って活動する選択肢をとりました。1年ちょっとこの生活を続けて月4で東京行くこともあったりで体力的には正直かなりしんどいですが、とても充実した日々を過ごしています。1つ1つの対局が有限でかけがえのないものであると感じています。

堀さんは、僕の今までの実績を評価してくれて最強戦に推薦してくれました。最強戦で今の僕を多くの方に見てもらって次のチャンスに繋げたいと切に願います。こんな僕ですが応援してもらえるととても嬉しいです。

岡本壮平

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