真の裏プロ・サブ【文・荒正義】
裏プロと云っても色々だ。仲間と組んで打つのが、クマゴロウ。
クマゴロウの語源は、「オレと組まないか!」からきている。
組んでサインを通せば、断然有利だ。勝ち負けは折半である。相手の親は軽く流し、仲間の親は立てる。これだけで、勝ちは倍に膨らむ。
しかし、一流の裏プロは組まないで一人でやる。
完全自動卓が出る前の1974年までは、どのフリー雀荘でも手積みだった。
したがって、自分の山はすべて知っていた。オール伏せ牌の2度振りでも、自分の山のどこに何があるか知っていた。
牌のすり替えはイカサマだが、積み込みは技術として黙認されていたのだ。
しかし、呉石三郎は真の裏プロだった。積み込みもしなかった。
麻雀の腕だけの勝負で、生きていた。
私が認めた、真の裏プロである。
運のない日は負けることもある。そのときは綺麗に負けたが、勝つときも綺麗だった。
腕が違うからあまり負けることがない。
客が負けて延長を頼むと、
「わかりました!」
と、微笑み付き合った。
その分、サブの勝ちは膨らみ客の負けは大きくなる。
それでも客はサブと打つのを好んだ。
サブのマナーは最高だし、言葉使いも丁寧。麻雀の後の付き合いもよかったからである。
酒でも、カラオケでもなんでもサブは付き合った。これがサブの人の好さだった。
歌は抜群にうまかった。聞くと、裏プロになる前は弾き語りの仕事だったという。
井上陽水の「リバーサイドホテル」をサブが歌うと、客が皆シーンとなったほどである。
裏のプロも表のプロも、大事なのはお客や旦那連中に好かれることである。
「サブに負けたのならしょうがない・・・」旦那連中は、そう言って笑っていた。
私がサブと出会ったのは、バブルのときである。
日本のバブルは1986年12月から、1991年2月までだ。株価は急に上がり、土地の値段も急上昇。
世の中には金が溢れていた。
当然、麻雀のレートも跳ね上がった。そこは六本木の雀荘で、千点1000円のレートだったがバブルのときは1万円だった。
ゲーム代は、東風戦一回で1万だった。3卓立てば、これが馬鹿にならない収益となる。
しかも、東風戦だから金の動きは倍になる。一晩打って負けると、500万はすぐに飛んだ。
異常である。
あるときこんな場面があった。
サブがラスでトップがオレだった。俺の持ち点は5万5千点。
2番手の親が、2万点。オレのトップは確定だろうと、私はニンマリ。
しかし、10巡目の親の仕掛けはこうだった。
ここに、サブは中を切ったのである。
「ロンだ。48000点!」
私は、親に一気に捲られた。
「ごめんね、荒ちゃん!」と、サブは言った。サブの顔は赤くなった。
「いいよ、気にするな・・・」と、私は答えた。
この後、サブはチラチラ私の顔を盗み見しながら打っていた。
「気にするなと」云った、私の返事が気に入ったのかも知れない。
しかし、この日の終わり頃こんな場面があった。
もう一人の客が、こんな仕掛けだった。
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