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勝負師~episode0表と裏のプロ【文・荒正義】

表と裏

私が、プロデビューしたのは『近代麻雀』で、1975年の23歳のときだった。
近代麻雀は今の麻雀劇画誌ではなく、活字媒体の麻雀専門誌(今は廃刊)である。
このとき私は、近代麻雀の第1期『新人王』となり、褒美に麻雀エッセイの連載をいただいた。この時代は、書けるプロがいいプロだったのである。
書いて名が売れたらゲストが増え、同時に安定収入が入るからである。
当時は、阿佐田哲也さんの麻雀小説に、若者たちや大人が熱狂していた。私もそうだ。
プロも少なく、知られていたのは小島武夫・灘麻太郎・古川凱章
若手では田村光昭青柳賢治の5名だった。
灘さん以外は、「麻雀新撰組」のメンバーである。
麻雀新撰組とは、阿佐田さんがシャレで作った、遊び仲間の集団である。
しかし、シャレでも「麻雀新撰組」はマスコミに注目されていた。
 
しかし、群を抜いて強かったのは灘さんだった。
近代麻雀誌上で行われた『十番勝負』では、新撰組は誰も灘さんに勝てなかったのである。灘さんは40歳で、打ち盛りのときだ。
 
勝負の世界は強さがすべてだ。勝たなければ意味がない。
私は、ずっとそう思っていた。今でもそうだ。

表のプロ、灘麻太郎

 私は心の中で、灘さんに憧れと尊敬の念を抱いていた。ある日、灘さんが私に声をかけて来た。
「荒は、北海道か。オレも札幌だよ!」
私は、北海道北見市留辺蘂町出身。同じ北海道だが、札幌までは特急列車で4時間半かかるのだ。北海道は広いのである。
 
灘さんはこの後、電話番号を書いてそのメモを私に渡して言った。
「俺の住まいは青山だ。今度、遊びの来いよ!」と、言われた。
3日経って、行くと頼まれたのは、麻雀のエッセイと麻雀劇画の原作だった。
このとき灘さんは、麻雀劇画誌の13本の原作を持っていたのだ。
エッセイは、近代麻雀や週刊誌で連載を持っていたから何とか出来るだろう。しかし、劇画の原作なんて書いたことがないのだ。
それを云うと「いいンダ適当で!」と灘さんは言った。
私は懸命に頑張って、4日かけて読み切りの1本の原作を書いた。それを青山の灘さんに届けた。
一瞬で読むと、「あと2本!」と、言って先払いで、私に15万円の原稿料をくれたのである。当時の大卒の初任給が8万円の時代であった。
 
通常、代筆は作者の原稿料の半分か、それ以下が相場だった。それを丸々、先払いでくれたので驚いた。それ以来、私は灘さんの強さと優しさを求めて、灘さんの背中を追い続けたのである。
 
しかし、灘さんが55歳になったとき、追うのをやめた。私が40歳のときである。
今度は、私が追われる番になったからだ。
沢崎、瀬戸熊、藤崎が頭角を現わしたときだ。これが潮時と思った。今では、その彼らが後輩の目標となり追われる立場だ。これも、時代の流れである。
これが、私の表の世界の裏話である。
しかし、今でも思う。
表のプロで一番強かったのは、灘麻太郎であった、と。
 

『裏プロ』小林一太

コインに表と裏があるように、麻雀にもこれがある。
俗に、高レート麻雀で凌ぎをかけている者を裏プロという。その腕は、一流から三流までとピンきりだ。
しかし、二流以下はその世界では生き残れないのが常識である。二流は一流に勝てないからだ。戦えば、2流以下は破産する。
 
裏プロの一流は、表の一流と互角の腕を持っている。
戦えば、勝つか負けるかは、その日の「運」次第である。
 
小林一太と云う男がいた。裏プロで一流である。
大学は早稲田で、麻雀の打ち過ぎで授業料滞納して、除籍処分になったと云う。日本がバブルのときは、一晩で5000万動く麻雀を打っていた男である。何億も勝ったはずだが、その勝ち金は競馬と株に消えていた。
私の6歳上の、飲み仲間である。その彼が、遅れて小料理屋にやって来た。麻雀を打っていたというのだ。
高レートの麻雀は、今はない。
その雀荘は、歌舞伎町にある1000点200円の東風戦の店だ。
付録で一発と裏ドラ・赤には、1000円の祝儀がある。鳴いても赤があるなら祝儀があった。これが大きいのだ。
「勝ったの?」と、私が聞いた。
「うん、ほら!」と、彼は胸のポケットから千円札と1万円札を出した。入り混じって、札はぐじゃぐじゃである。
3人で数えたら、勝ちは55万円だった。
「手が入って、面白くて止める気がしなかった」と、彼は言った。
24時間打ち続けたというのだ。時給にしたら、約23000円の仕事である。
200円の麻雀で、55万の勝ちなど聞いたことがない。異常である。
普通は客がパンクして、卓割れとなるのだ。
しかし、客が多いからからそうはならないのが新宿・歌舞伎町だ。客は4回転したという。2時間で小料理屋を出た。かなり美味しい魚を食べたから、会計は24000円である。
小林が言った。
「えっ、オレが一人で払うの!まあ、いいか…」
当たり前である。勝った貴方の自慢話を、僕ら2人は黙って2時間も聞いていたのだ。聞き賃というものがある。ね!

『裏プロ』白川道

もう一人の裏プロは、白川道さんである。(白川さんは1945年生まれで、私より7歳年上である)
 
『天国への階段』や、数多くの名作を残していた。その一つ『病葉流れて』は、麻雀小説だ。本業は小説家だが、それは仮の姿に見える。

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