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女流プロ雀士解体新書 和久津晶(文・藤井すみれ)

文・藤井すみれ


【10歳からTバックをはいていた】

和久津晶がそういうなら、みんな納得するのではないか? 似合いすぎる。

派手な見た目に、押すと決めたら地の果てまで押す麻雀。(近年は守備重視な面も目立つが)
一度見たら忘れられないインパクトがある選手だ。

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和久津晶(わくつあきら)

日本プロ麻雀連盟23期生
鳳凰位戦A2リーグ・女流桜花Aリーグ
少し前まで、セガサミーフェニックスに所属するMリーガーでもあった。

【Tバックをはいていた理由】

10歳から身につけていたと聞いた時、やっぱり早熟な女の子だったんだなと思った。
当時からきっと大人びていて、オシャレに敏感だったのではないかと。
しかし理由はまったく別のところにあった。

「ブルマからハミパンするのが嫌だったから」

…なんという合理主義者だろうか。
今でこそブルマは全国的に廃止されているが、
当時の小学生はみんな、そうなるのが嫌だった。嫌だったけれど、特に対策を講じる事などできなかった。
でも和久津は当時から、カッコ悪い自分にならないために作戦を練る頭脳派だったのだ。
勝手にセクシーなイメージを押し付けていた自分が恥ずかしくなってしまった。

和久津が生まれ育った家は、色んな理由からとても貧しかった。
4歳上の兄は、和久津とその下の妹に色々買ってあげるためにアルバイトに精を出した。
バレーボール部の合宿費用2万円が家計から捻出できそうもない時に
「いいから。行ってこい」と兄が出してくれたそうだ。
その姿を見て育った和久津は
「かっこいい。私もこうなるんだ」
と自然に思うようになったという。

当時のお小遣いは月500円。
同じ金額を貰う妹にお小遣いを分け与えて、1冊450円の少女漫画雑誌を毎月2冊買ってやった。
自分は全く読まないけれど、妹に我慢をさせたくなかった。
自分のお小遣いがほとんど無くなってもそれで良かった。
そんな和久津が自分の力でお金を稼ぐようになるまで、時間はかからなかった。

十代で売れっ子のダンサーになり
たくさんの人達が和久津に魅了された。
あまりに人気がありすぎて、ほとんど休むことなく働き続けた。
たまに電池が切れたように1ヶ月ほど休んでは沖縄旅行に行くのが楽しみ。

そんな生活に区切りをつけたころ、時間と心に余裕ができた。
「今までやらなかった事にチャレンジしてみようかな?」
その中のひとつが麻雀だった。

「何これ…? 面白いじゃん…」

ルールは知っていたし、やった事もある。
でも完先の麻雀しかやった事がなかった和久津にとって、街の雀荘の「アリアリ」麻雀は新鮮だった。
面白さに目覚めてからというもの、
48時間打って12時間寝る、という生活を3ヶ月続けた。
不眠不休の雀魔王こと沢崎さんの話ではない。
和久津の話だ。

しかも覚えたてだったので、細かい点数申告ができない。
それ故に自分で決めた掟は「満貫しばり」だった。安い手はツモってもアガらない。見逃しやフリテンリーチを使って、必ず満貫にしてからアガった。

「当時は、今みたいに点数なんてみんな教えてくれなかったんだよね。だから自分で分かる手しかアガれなかった。
ミニスカートはいて、パンチラ打法なんて言ってたけどね(笑)」

乾いたスポンジが水を吸うように、たくさんの事を吸収したのはこの時期なのだろう。

その時通っていた麻雀店には、若かりし頃の醍醐大プロが働いていて、点数やマナーなどを特に真摯に教えてくれたという。

醍醐大


今でも親交があるというのが面白い。

そんなつながりがありつつも、彼女が麻雀プロになるのはもっともっと後の事だった。
合理主義者の和久津は「麻雀プロ」をお金を稼ぐ仕事だと当時は思えなかった。
その後も紆余曲折を経てはいるが、それでも麻雀プロになったのは、運命のような気がする。


【彼女は本当にMリーガーになりたかったのか?】

ご存知の方も多いと思うが、和久津は2019年のドラフトで、セガサミーフェニックスに指名を受けてMリーグ入りした。
実はその少し前に、お茶をする機会があり、その時にこんな会話をした。


「もし私がMリーグに入るとしたらどう思う? すみれは私にMリーガーになって欲しい?」

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