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【無料記事】実家が解体されました【庄田祐生】

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2024年12月31日
朝早くの新幹線に乗った僕は金沢へと向かった。
目的地は故郷である石川県輪島市。金沢から輪島まではバスでさらに3時間かかる。新幹線も含めれば計6時間の長旅だ。

やっと到着した。
到着した場所は、父と母が暮らす仮設住宅だった。

そう、僕には実家がない。

1月1日
朝起きると、生きている事を実感した。
こんなお正月は初めてだった。
あの地震から1年が経った。

輪島を、そして庄田家を無くした、憎くて憎くてしょうがないあの地震から1年が。

1月では珍しい、太陽が降り注いだ快晴だ。
そんな気持ちの良い日でも、輪島市民に「明けましておめでとう」は存在しなかった。みんな思い出すのは1年前のあの悲惨な光景だった。

毎年集まっていた親戚の家は入ることができない。
親戚が住む仮設住宅に顔を見せると、子供2人が嬉しそうにやってきた。

「はい、これお年玉!どうぞ」

俺もお年玉をあげる年齢になったか・・・
なんて思いながら一緒に遊んだりゲームをした。

16時
朝から晴れていたが急に天気が悪くなり、大雨に。
車に乗って向かった先は「輪島朝市」

16時10分
地震が起きた同時刻に黙祷を捧げた。
1分間の黙祷
その間に1年間の出来事が蘇る。
あの地震は憎くて憎くてしょうがない。
でも誰も憎めないのがいちばん悔しい。

仮設住宅に帰る途中、実家に寄ってみた。
「解体予定日1月6日」と書いてあり、家の窓ガラスや屋根瓦は全て撤去されていて丸裸の状態だった。

実家が無くなるカウントダウンが始まった。

3日、4日、5日・・・

解体日の前日、横にいる祖母の携帯電話が鳴った。

「もしもし?」

どうやら友達のようだ。同じ部屋にいるから会話が耳に入ってくる。

「ついに明日になってもうた」

「どんな気持ちって言われても」

「そりゃ悲しいけどね」

「ずっとおった場所やし」

今にも泣きそうな祖母の会話。

僕で29年
父親で58年
祖父、祖母からすると、もっともっと生活を共にしてきた場所である。思い入れも深い。

それが明日「解体」されるのだ。

「ありがとね」

そう言って電話を切った祖母にかける言葉が見つからなかった。


1月6日
解体の日

父と母は仕事に行き、祖父と祖母と僕で解体される実家に向かった。


家の前には大きな重機と作業員5名。
軽く挨拶をし、作業員の1人が重機に乗り込んだ。

重機の先端、ハサミの部分が屋根付近をめがけて進む。
間髪を入れずに家に向かって突き刺す。

徐々に崩れていく実家。
何も言わずに見つめる祖父と祖母。

見ているだけで……
いや……

見ていられなかった。

家を突き刺すたびに
心臓の部分がえぐり取られていく気分。

実家のにおいが大好きだった。

新しい実家はいつできるのか、分からない。
お金の心配もある。
両親はもうすぐ定年だ。

下を向いてばかりじゃいられない。
これが庄田家のスタートなのかもしれない。

新しい実家のにおいを作るのは
僕なのかもしれない。

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