「褒められたし、怒られもした 馬場さんが関わってくれた10年間に感謝」魚谷侑未
7月28日、麻雀業界で多大な活躍と貢献をされてきた馬場裕一さんが亡くなられた。馬場さんが目をかけて活躍をサポートしてきた麻雀プロは数多くいるが、中でも特に可愛がられ、恩を感じている一人が魚谷侑未である。魚谷に、馬場さんとの思い出を語ってもらった。
■馬場さんと最後に会った日
今年の5月、馬場さんの誕生日にLINEギフトと「誕生日おめでとうございます、健康にお過ごしください」というお祝いメッセージを送ったんですけど、それが未読のまま期限が来て戻ってきてしまった、ということがあったんです。その時から気になって黒木(真生)さんにも話を聞いていたんですけど、そのときは「確認しておくね」みたいな感じでした。
その後、Xで馬場さんの体調が悪いというポストを見てもう一度聞いたら、「馬場さんがあまり弱っているところを見せたくないと思って隠していたんだ、ごめんな。でも、もうそんなに長くないかもしれないなら、会いに行きたいなら行っておいで」と言われて、6月19日に松田彩花と2人で会いにいきました。
病棟に行って、馬場さんのお名前があるところのベッドを見たら、最初はそこに寝ている人が誰だか分かりませんでした。でも、ちゃんと見たらそれは、ものすごく痩せてしまっていた馬場さんで、「こんなに変わられてしまったのか」と、そこで泣けてきてしまって。声をかけたら、寝ていらしたんですけど目を開けてくれて、「魚谷か、ありがとな。声も出ないけどごめんな」みたいにしゃべってくださいました。
黒木さんからは「たぶん、魚谷がセガサミーフェニックスを辞めたことも知らないよ」と聞いていて、私とセガサミーフェニックスのご縁は馬場さんがつないでくれたものでもあるので、私の口からきちんとお伝えしました。最初は信じられなかったようですが、経緯を聞いたら納得はされたようです。
松田も馬場さんにごあいさつをして、あまり長くいてはいけないと思ったので、その日は感謝の気持ちだけを伝えて病室を後にしました。それが、私が馬場さんと最後にあったときでした。後から聞いたんですけど、その日が一番、体調は良かったそうです。
■魚谷とフェニックスをつないだ縁
馬場さんは、私がセガサミーフェニックスに入るきっかけを作ってくださった人です。Mリーグが始まる前に一度、馬場さんから「高畑さん(高畑大輔・セガサミーフェニックス初代監督)が話をしたがっているから、会って話せるか」という連絡があって、場を設けていただいたことがありました。そもそも、セガサミーが連盟の選手を指名するのには、難しいところがあったと思います。それでも指名したい高畑さんの意向をくんで、詳しいことは分からないですけど、連盟との折衝など、馬場さんもいろいろ尽力してくださったのだと思います。
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