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鋼鉄の岩・前田直哉【文・荒正義】

前田直哉は静岡県・浜松市出身。連盟の17期生である。
この17期は、強い打ち手の宝庫であった。今でも連盟のタイトル保持者は、この17期が主体である。これまで前田が獲った大きなタイトルは、『鳳凰』『最強位』『グランプリMAX』である。
鳳凰と最強位を獲れば、十分である。その名は天下に轟く。

彼が麻雀を知ったのは、大学生のときではなく中学のときだった。少し速い。
静かに打って、いつの間にか勝つ。私の彼の麻雀の第一印象は、これだった。
50年前。フリー雀荘にもこういう打ち手が居た。私はその店の常連で、毎日顔を出した。
その店は市ヶ谷にある、若手プロのたまり場「ポプラ」だったのである。
その男は30歳くらいだ。男は会社が終わる5時半に来て、10時まで打つのだ。
半チャン6回ぐらいは打てる。まず、大負けしたことはなかった。男はスーツにネクタイ姿で、明らかに勤め人である。
目立たず静かに打っていた。マナーも格段に良かった。
相手に好かれることがあっても、嫌われることはなかった。これが、玄人の正しい姿勢である。
勝って、能書き云うなど論外である。相手にマナーの悪さも言ってはいけない。
その人が去ったあと、私はメンバーに聞いた。
「あの人強いね?」
「サラリーマン雀鬼かもしれません!」と、メンバーが云った。
当時は居たのだ。学生時代は、麻雀で鍛えて腕を上げる。
しかし、会社では強すぎてメンバーから外されることがある。
だから、フリーで遊んでしっかり稼ぐのだ。その店は百円麻雀だった。
しかし、大卒の初任給が6万円の時代だ。固く打って、月に3万か4万勝つだけで十分だった。

前田直哉も勤め人である。
雀荘ではなく立派な会社員である。これはプロでは珍しい。
しっかりと安定収入を確保して、好きな道を進む。
これが理想だが、私には真似ができない。
私がプロデビユーしたのは『近代麻雀』で、23歳のときだった。以来、足のつま先から首までどっぷりと麻雀三昧だった。強くなるために打ちまくったのだ。
この時代は、学生運動で大学は閉鎖され学生の間で麻雀が流行したのだ。
麻雀専門誌『近代麻雀』が発刊されたのもこの頃で、その流行に一役買ったのである
4年前には、あの『浅間山荘』の事件があった。

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