井出洋介語る7「最強戦スタート、竹書房との決裂」
最強戦スタート強者の真剣勝負
1989年、竹書房主催の新しいタイトル戦が誕生した。「麻雀最強戦」である。
第1回は「史上最強戦」と命名され、タイトルホルダーを集めて開催された。
僕のほかは灘麻太郎さん、飯田正人さん、安藤満さん、金子正輝さん、西田秀幾さん、畑正憲さん、そして桜井章一さんの代理として漫画家の片山まさゆきさんが出場した。他にもあと4人いたのか覚えていないから、8人2卓だったのかな。
僕は決勝に残れず、第1回最強位は片山まさゆきさんになった。
この試合の日、畑正憲さんが時間に会場に来なくて、残りの選手たちを長時間待たせてしまうという事件があった。しかも、きちんとした謝罪もなかったのだ。後日、このエピソードを雑誌の連載記事に書いたところ、畑さんから電話がかかってきた。畑さんは遅れた理由や事情をいろいろと話し始めたが、僕が「遅れたのは事実でしょう」と言って、結局お互い納得しないまま電話を切ってしまった。それが、畑さんとの最後の会話になった。
第2回の最強戦では、僕は決勝に残った。優勝したのは小島武夫さん。決勝卓で小島さんと思い切り戦えたので、この時は負けてもすがすがしい気持ちだった。
僕にとって小島さんは、野球で言えば長嶋茂雄さん。麻雀の世界ではお父さんのような存在だ。その小島さんが、僕と一生懸命戦ってくれた。メンゼンを好む小島さんが、僕の親番を蹴るために食い仕掛けをしたものの、僕がリーチしたら必死にオリた。真剣に、僕を戦う相手として評価してくれていることがわかって嬉しかった。
第3回は伊藤優孝さん、第4回は雀鬼会の佐々木秀樹さんが優勝した。
この最強戦の素晴らしいところは、選手にギャラ(対局料)をきちんと出たことだ。しかも前日からエドモントホテルに宿泊して戦えるようにセッティングされていた。競技麻雀のプロの待遇としてとてもよかったと思う。
桜井章一さんとのトラブル 竹書房との絶縁
問題が起こったのは翌年、第5回大会の前後のことだ。
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