無料記事「攻撃特化の書」誕生秘話 鈴木優との邂逅(文・沖中祐也/ZERO)
私は多分、嫌われていた
私が鈴木優と初めて会ったのは、東海で行われたプロアマリーグだったと思う。
当時、ZEROという名で活動していた私は孤独だった。そもそもZEROという年齢的にやや痛めな名前も、全ての交友関係を絶ちZEROからやり直そうという意味がある。
私には麻雀しか残されていなかった。その麻雀を打つ場も、オンライン麻雀天鳳と東海で開催されていたプロアマリーグしかなかったのだ。
相手がプロだろうがアマだろうが関係ねぇ。誰にも負けるわけにはいかない。当時の私はスネ夫の前髪くらい尖り散らかしていた。
場違いだったと思う。プロとの交流や腕試しを楽しみに参加している人がほとんどで、そんな和気あいあいとした雰囲気の中、肩で風を切って歩き、誰とも目を合わせず、寄らば斬らんというオーラを出し散らかしていた。散らかしまくりである。
当時、プロアマ問わず私は嫌われていたと思う。
実際に伊藤高志元Classicは、私のことが相当嫌いだったらしい。2年前に聞いた時は「だいぶ普通のちょっと嫌い寄り」くらいまで印象は良くなっていた。かなりリアルで笑える。今では普通に話すし一緒に新幹線で移動するくらいの仲ではあるので、普通まで回復していると読んでいる。
ともあれ当然こうやって「嫌いだった」と言ってくれる人は少なく、多くの人は煙たがっているのがサイレントマジョリティだったのだと思う。
「後ろで見てていいですか」
そんな私に声をかけてくれたのが優さんだった。当時優さんは運営をしていた。その傍ら、私の麻雀を直立不動で観戦していたのだ。
たしかあの時が初めてでしたよね?
「そうでしたっけ?」
え、終わったあとに質問もしてくれたじゃないですか。
「ごめんなさい。麻雀以外の記憶力が本当になくて…」
正直、最高位戦ルールへの熟練度も高くなく、当時は大してうまくなかったと思うのですが、それでも優さんは何かを得るものはないかとじっと観戦してくれていたのが印象的です。
「境遇が近しい部分もあって、勝手に親近感を抱いていたのかもしれません」
境遇が近しい…。
当時の優さんはもちろんMリーガーではなく、Bリーグで苦戦を強いられている地方プロに過ぎなかった。それでも…いや、だからこそ麻雀中は「中」の先っぽのようにとんがっていた。
優さんの卓上の情報を絶対漏らさないぞという視線は、現在Mリーグの画面で見るそれと何ら変わらない。それは強くなりたいという意思であり、目の前の勝ちに対する渇望であり、何者かになりたいという願望である。
たとえ嫌われようとも「この道だけは譲れない」ととがり散らかしていた私に似た何かを感じたのかもしれない。
戦慄のババ抜き
次に会ったのはバーベキューだった。東海のプロたちメインで行われるこのイベント。たしか自分の著書「ゼロ秒思考の麻雀」でイラストを書いてくれた木村明佳吏プロが誘ってくれたのだと記憶している。
とんがっていた私は思った。バーベキューなんて陽キャ御用達のイベントだ。わざわざ買い物をして重い荷物を持ち、肉や野菜を焼いたあとで片付けもしなければならないなんて非効率もいいところ。おまえらはチャンタか? リャンペーコーか? 完全にデジタルアウトだ。牛角でもいったほうがよほど満足できるじゃないか。牛角はタンヤオ。
そう思いながら私は「参加します」と答えた。顔はクールを装っていても、しっぽがついていたらちぎれそうなくらい振り散らかしていたと思う。嬉しかったのだ(芋)
あのときのババ抜きはアツかったですね!
「そんなことありましたっけ?」
…本当に何も覚えてないんですね。高級肉を賭けていたか、あるいは何も賭けていなかったかは私も覚えていないのですが、余興としてババ抜きやったじゃないですか。
「ふむ」
ふむじゃなくて。私は震えましたよ「1秒で見抜くヤバい麻雀心理術」を書いている優さん相手にジョーカーをどこに配置すべきかと。一番取りやすいところの隣にすべきか。いやいやその裏をかいて…と考えが堂々巡りになったりして。
このエピソードはこれ以上深くならないのでこれくらいにしておく。
忘れられない乾杯
戦慄のババ抜きから数年後、私はプロに復帰したいという思いをnoteにぶちまけたことがあった。
この記事を公開して数分後に、当時最高位を獲ったばかりの優さんから連絡があった。最高位戦で一緒にやりませんか?という内容だった。
あの時は本当に早くて驚きました。
「雀力はもちろんのこと、文章力や地方での活躍も合わせ、どうしても東海支部に必要な存在だと感じたので、他の団体には取られたくないという思いから1秒でLINEを送りました」
最高位からのまさかのオファーに熱意を感じました。だって推薦したところで手間が増えるだけで、優さんにとって得は何もありませんからね。
最高位戦に即決した私は、理事会で優さんと2人でプレゼンに臨んだ。天鳳の実績に加え、複数の本を出していることやフォロワーが何人いるとかのメリットを必死に解説した。一通りのプレゼンが終わった後、私は退出を命じられる。寒い冬の日、とぼとぼと駅まで歩きながら考える。さきほどはメリットを必死に解説したが、年齢的なことや過去の黒歴史(さきほどの記事参照)を考えるとデメリットもある。正直、入会できるかどうかはまるでわからず、先は闇に包まれていた。
ふと、着信が鳴る。優さんだ。
「今、理事会が終わりました」
「結果が出たんですね?どうでした」
「それを伝えたいと思って電話したんですよ。直接伝えたいのですけど、もう帰っちゃいましたか?」
むむ、これはどっちのパターンだ? とよぎった。
「帰ろうとしていたところですが、まだ改札手前です」
「では近くの居酒屋で一杯どうですか?」
居酒屋で合流し、結果を聞いてもお酒がくるまではまだ教えてくれない。36p待ちのときに457pとか際どいところばかりツモってくるタイプの焦らしてくる男だ。
注文を経て、お酒が届き
「満場一致で特別入会が決まりました!」
と満面の笑みで教えてくれた。なんだこのイケメン演出は。もう一度言うが、優さんにとっては何の得もないどころか手間しかかかっていない。それなのに、自分よりも喜んでくれている。
いつかなんらかの形で優さんには恩返ししなくては。乾杯を交わしたときにそう誓った。
攻撃特化の書
私目線の思い出話ばかり語って申し訳ない。ここからが本題である。
優さんはその年にMリーガーになった。その後も交流の続いていた私はYouTubeにおける検討配信を手伝ったり、近代麻雀誌上で優さんのコラム「恐れ知らず」を書くようになっていた。
その流れで書籍化の話があった。これが他の人の本だったら断っていただろう。だけど優さんだからノータイムでOKした。恩義に感じていたのもあるが2年間ずっと関わってきた中で、優さんの麻雀は学ぶところが多く、さらに言うと他の打ち手よりも攻撃特化で面白い。本にしたら絶対に面白いという確信があったのだ。
麻雀もそうだが、麻雀に対する姿勢が勉強になっている。だから私は優さんのルックスを活かし、写真をバンバン撮って、麻雀対する姿勢をメインとしてフォトエッセイのほうが売れるのでは? と提案したのだが、戦術書として企画したのでダメですと言われた。
そういう経緯もあり、恐れ知らずの内容をベースとした戦術書が出来上がった。
出来上がったと簡単に書いたが、戦術書として成り立つようにすべての内容を見直し、練習問題や撮り下ろしの写真も加えている。
正直、自分の本よりも必死だった。自分のときも自分のときで必死だったとは思うのだが、優さんの名前を出して失敗するわけにはいかないという強烈なプレッシャーがかかった。直しの期限が過ぎているのにもかかわらず、デザイナーさんを深夜に叩き起こして修正させた。私はまたしても嫌われたかもしれない。
こうして戦術書としてもわかりやすく充実した内容である上で、私が伝えたかった優さんの麻雀に対する姿勢も随所に盛り込んだ、良い本ができたと思っている。
忘れてはいけないこと
優さんは変わらない。最高位を獲っても、Mリーガーになっても、そしてMVPを獲っても。
人に優しく、奢らず、少しポンコツで、だけど強くなりたいという意思や目の前の勝利への渇望は、何一つ変わらない。
一方で自分はどうだ。プロになって丸くなったはいいが、どこか怠惰な日々に流され、気がつけば2年半のときが経過しようとしている。
無理にとがる必要はないが、決して忘れてはいけないことが2つある。それは優さんが自分に感じてくれた、麻雀への熱量である。
最近の自分を見つめ直した。観戦記者を引退し、麻雀における実戦や研究への時間を増やした。ファンサービスの一環として「朝の何切る」をはじめた。内容をどうするか思案中ではあるが、定期的なnoteを書く準備もできている。
忘れてはいけないことのもう1つは優さんへの恩義である。一番の恩返しは書籍を書くことではなく、自分が活躍し、貢献し、プロになって良かったと感じることだろう。
優さん、プロの世界に引き戻してくれてありがとう。
プロになり2年半。すでに幸せを感じているけど、ここで満足していちゃダメだよね。もう47歳だけど、先は短いと思うかまだまだやれることはあると思うかは自分次第。あの日優さんが自分に感じてくれた、麻雀は負けたくねぇ! という気持ちを持ち続け、強くなっていきたいと思っています。
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