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井出洋介語る22「麻雀しかできない無骨さは魅力でも何でもない」


ちやほやされて、勘違いしてはいけない

 今回は、麻雀プロのあり方について、自分の経験なども踏まえてお話したい。このnoteで麻雀プロに対して苦言を呈することも度重なり、「うるさいなあ」と思う向きもあるかもしれないが、それは仕方がない。

ただ、自分の失敗に自分で気付くことは難しいし、時間がかかる。後になって「ああ、あのときこうしておけば」と思っても時すでに遅し、ということもある。

だから僕は「自分はこんな失敗をした」ということもかなり赤裸々にお話しているつもりだ。これらを他山の石としてくれる人がいれば、と思う。

僕は25歳になる前に「麻雀プロ」としての生きることを決めて、その後いろいろな出会いや仕事に恵まれて、若くして経済的には比較的安定していた。しかし、満足していたわけではない。

「どうしてこんな扱いなのか?」

囲碁や将棋の世界の人達のほうが遥かに評価が高く、麻雀プロはまだ本当のプロとしては認められていないように感じられたのだ。

 名人のタイトルを取り、雑誌にも取り上げられて、自分は社会にも認められてきたかな、と勘違いしたこともある。
本もたくさん出版されるようになり、ゲームの監修もして、いたるところで麻雀の普及に努めているから、世間のみんながどこかで一度くらいは僕の名前を目にしたことがあって、会うと「ああ、麻雀の井出さん」とわかってくれるものだと思い込んでいた

ところが、実際にはそんなことはなかった。麻雀界でこそ、それなりに知られても、一般社会では僕を僕と認識してくれる人はとても少なくて、「麻雀のプロ?普段はどんな仕事をしてるの?レートはいくらなの?」という対応に何度もあった。 

最近の麻雀プロはどうだろうか? 

Mリーガーをはじめ、人気プロはたくさんのファンを持つようになった。麻雀店や麻雀バーのゲストに入ると、大勢のファンが詰めかけてお金を落としてくれると思う。

しかし、麻雀の世界というものはとても狭いものだ。一歩、外の世界に出たときに、自分がどれほど通用する人間なのかということを常に考えておいたほうがいい。

「麻雀の集まり」に参加する全員が自分のファンだと思うな

これは最近、実際に聞いた話である。

実名は出さないが、今や麻雀プロ界隈を知っている人ならおそらくだれもが知っているはずのプロたちが、ある麻雀のイベントにゲストとして呼ばれた。

そのイベントは「麻雀プロのファンの集まり」ではなく、麻雀というゲームを楽しんでいる、比較的高齢者の多いイベントだった。だからインターネットで麻雀対局を見る習慣がある人は少数派で、昼間に集まって楽しく自分たちで麻雀を打つ、という人たちだった。

そのゲストプロたちは、その日集まった、ほぼ全員が自分よりも年上の人々に対して、かなり生意気に感じられる態度で挨拶をしたようだ。
挨拶だけでなくそのイベントの間ずっと、麻雀を打っているときも、常にいわゆる「上から目線」で、ひとことで言えば偉そうだったそうだ。

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