灘麻太郎伝③ 三人麻雀の鬼【文・荒正義】
川田隆プロの店・赤坂見付あった「東天紅」は、始めは千点200円の東風戦だったが、客が裕福なためかすぐにレートが上がった。
2年後には、たちまち千円のレートである。店ではなく常連が勝手にレートを上げるのだ。
1977年、このとき日本は高度成長期であった。皆、景気がいいのだ。
レートが200円のときの場代は、トップ払いの1000円だ。
これも少し高いがレートが、1000円のときは場代が2000円である。
常連が、店を思って勝手にそう決めたのだ。
店としても、断り切れなかった。3卓立てば、倍の6卓分の収入になるからである。
しかし、このレートは長くは続かなかった。一年後には、負けた客の足が遠のくからだ。
3人で30分待ったが、誰も来ない。しびれを切らした一人が言った。
「三人麻雀をやろうよ!」
「どうやって?」
「一ハン千円だ。オレは千葉から来てるンだ、このまま帰れるか!」
『東天紅』の三人麻雀はこうである。
この手をリーチで、一発でツモるとバンバンを入れて12ハン。(リーチ、一発、ツモ、タンヤオ、ピンフ、イーペーコー、ドラドラ北北、バンバン)12000円オールとなるのだ。
北は国士無双以外に使うことはできない。右に抜いて嶺上牌から補充するのだ。
北も、親も、一本場も一ハンである。したがって、こんな手を、闇テンにする打ち手は皆無だ。場代はツモで、500円札一枚を切っていた。
通常、一時間で8回のツモがあるから、1時間で4000円である。6人の客が来たら2卓できる。10時間稼働すれば、店は8万円の収入となる。これが大きいのだ。
例えばこんな聴牌をする。
東風戦で、タンピンドラ4。4人麻雀なら闇テンだが、三人麻雀は逆だ。
打点はあるが、好形の聴牌は即リーチが基本。出たら一人だが、ツモなら二人から同額もらえるからだ。
相手に降りられてもいい。そのうち、北を引いて高くなってツモなら御の字だ。
役満は、30ハンで打ち止めだった。しかし、親と積場がもらえた。
私もこの麻雀に挑戦したが、そう簡単に勝てなかった。勝つ日はあったが、負ける日もあったのだ。
この三人麻雀の勝ち負けの目安は、30万円である。客の下げ銭も30万が普通だった。
下げ銭とは、タネ銭のことである。大卒の初任給が7、8万の時代だった。
30万勝てば誰もが納得である。勝ち組は、こっそり含み笑いして帰路に就く。
負けの目安も30万だった。運のない日は、どう打っても負けるからである。
5時間で30万の負け、延長2時間しても、同じく30万の負け。あっという間に倍の60万の負けになるのだ。ツキに差ができると、勝ちも負けも勢いがつくからである。
ある日、灘さんの部屋に麻雀劇画の原作を届けた。それは、私が徹夜で仕上げたものだった。
夜の7時前に、灘さん宅の電話が鳴った。
「相手は誰?」
「そうか、じゃあ20分で!」
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