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「ホームレスになって雑草を食べていく覚悟はあります」YouTuberやまきの覚悟【ドキュメントM】

ドキュメントM

麻雀系のユーチューバーが大勢いる中で、やまきさんという女性は、少し毛色が違っている。麻雀プロでもなく、麻雀荘の店員出身でもなく、ある日突然、麻雀の動画を投稿し始めて、堀内正人さんや麻雀警察ひろーさんといった、有名な麻雀系ユーチューバーの動画にもたびたび出演するようになった。「やまきさんって誰? 何者?」という純粋な疑問を持って取材を申し込み、お話を伺った。

麻雀を覚えたのはオーストラリアで

 やまきさんが「麻雀女子やまきの麻雀修行チャンネル」を開設して動画を投稿し始めたのは2020年の春。当時、やまきさんはオーストラリアに住んでいた。
「都内の大学を卒業した後、働きたくなくて、学生ビザでオーストラリアに渡り語学学校で英語の勉強をしてからワーキングホリデーでアルバイトして生活していました。

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オーストラリアは、日本に比べて、フリーターが暮らしやすい国です。物価は高いけれど水や必要最低限の食料品の価格は安くて、タバコやコーラといった嗜好品・ぜいたく品は高いんです。飲食店のアルバイトでも日本に比べると最低時給が高くて(1500円くらい)、景色もいいし楽しいし、あっという間に数年間をオーストラリアで過ごしていました」
 当時の住居は、シェアハウス。そこの同居人が、麻雀を覚えたきっかけだった。
「アルバイトしながら暮らしやすいとは言っても、基本的には日本から来た貧乏留学生どうし、気の合う者どうしで、一軒家で共同生活でした。一番多いときは8人くらいいたと思います。
 その中の1人が麻雀好きで、家にいる時に天鳳をやっていました。私も学生時代に麻雀というものがあることは知ったのですが、役もわからないままで、すぐに忘れてしまいました」
 シェアハウスの住人は、それぞれの事情があるのでときどき入れ替わる。
「部屋に空きができたときに、麻雀好きの子が、SNSで交流していた麻雀コミュニティの仲間に声をかけて、同居することになりました。シェアハウスの中に、麻雀をする人が増えたんです。すると、それまでは外に出て公園とかで24時間も麻雀を打っていた人たちが家の中で打つようになり、毎週土曜日に卓が立っていました。私はそれを横で見ていました」
 やまきさんも麻雀をしたいと思ったが、ルールを知らなかったのでなかなか卓に入れてもらえなかったそうだ。
「後ろで見ながらやりかたを教えてもらったり、MJをやって役を覚えたりしていました。『オバカミーコ』福地誠さんの本をすすめてくれた人もいます。いつか、ちゃんと打てるようになって仲間に入って打ちたいと思っていました」

オーストラリアから麻雀動画を初投稿

「帰国する前に海の近くで暮らしたいな、と思って、そのシェアハウスを抜けて海沿いに引っ越ししました。それまで働いていたのはホテルに入っている日本料理店だったんですけど、シェフがすごく厳しい人で、毎日怒鳴られていました。そこをやめる時に『もう二度と働かない! 生活するお金稼ぎの為だけのアルバイトはココで最後にする!』と決めました」
 ところが、やまきさんが海沿いに引っ越ししたその時期に、新型コロナが世界的に広まった。
 「オーストラリアは完全にロックダウンでした。楽しみにしていた海も封鎖され、外出したら罰金を取られます。せっかく引越ししたのに何もできません」
 その時、やまきさんは麻雀の動画をまじめに見始めた。
「どうせ暇なので麻雀を覚えようかな、と思いついて、本格的に勉強することにしました、一番熱心に見たのは平澤元気さんの動画です。Mリーグの生放送もオーストラリアで見ていました。
 そしてすぐに自分もツイッターのアカウントを作り、ユーチューブの動画投稿を始めました。ロックダウンが少しゆるくなったときはビーチに出て、『ビーチで天鳳』『ビーチで何切る』などを投稿していました」
 当時、「100日後に死ぬワニ」というのがあったのをもじって、「100日後に五段になるやまき」をいう企画を開始。100日間毎日天鳳を打つ様子を配信することに。この評判がよかった。
「暇だから始めた麻雀ですけど、思った以上に反響があったので毎日投稿できました。五段にはなれず、二段くらいで終わりましたけど。
 オーストラリアのビザが切れたら次はイギリスとかヨーロッパに行きたいなあと思ってたんですけど、コロナで行けなくなってしまい、もうビザが切れて日本に帰ることになったので、じゃあ日本で麻雀を頑張ろう、と思いました」
 オーストラリアで約3年間アルバイトをしたので、ある程度の貯金はできていた。

「絶対に賭けない」をやめてなんでもOKに

 帰国したやまきさんはユーチューバーとして、関東圏のノーレートの雀荘やカルチャースクールなどを訪れて動画を投稿する、という活動を始める。そのきっかけになったのは、平澤元気さんだ。
「平澤さんと会う機会があった時に、ユーチューブや麻雀のことを色々と相談したら『麻雀強くなるのは時間かかるしその過程にはドラマがあるからユーチューブも並行して頑張る価値あるんじゃない?』とアドバイスされました。その時はとりあえず実家に戻ってたんですけど、本格的にユーチューブをするために安い部屋を借りて一人暮らしを始めました」
当時、やまきさんの活動場所はもっぱらノーレート。
「私自身、ギャンブルには興味がなくて『自分は賭け麻雀をする未来はないな』と思って、ノーレート限定で活動していました」
「他のかたの麻雀の動画を見ていると、いろんなルールでやってるんですよね。私はMリーグルールとか競技麻雀ルールに限定されますけど、他の人の動画は赤3金3だとか、他にもカラフルな牌があったり、白ポッチだとか、色々なルールがあって楽しそうでいいな、と思いました。私は自分で自分のクビを締めてしまったかなあ、と思いました」
「ユーチューブの編集って、すごく時間がかかって大変なんです。10分の動画を編集するのに12時間くらいかかることもあります。一生懸命やっているのに、いろいろアンチコメントがあったり、嫌な気持ちになることがありました。
『麻雀は金を賭けないと本気出せない』『ノーレートだったら役満しか狙わない』と言われるのが悲しかったです。私自身は、賭けなくても麻雀はとても楽しいと思っているのに、ノーレートの麻雀をちゃんと打ってくれない人がいるんだなということを知りました。

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